西安寺跡(奈良県王寺町)
令和4年2月16日(水)、西安寺跡(奈良県王寺町)・信貴山城跡(三郷町、平群町)・高安城跡(大阪府八尾市)などの史跡巡りをしました。
最初は、本日のメインである「西安寺跡発掘調査見学会(王寺町)」です。
西安寺(さいあんじ)は飛鳥時代の寺院で、今は舟戸神社となっています。神社の社殿は南か東を向いているのが通例ですが、この神社の社殿は大和川が流れる北を向いています。
社殿の北東に塔の跡・その北に金堂の跡があることから、(1)王寺町のウエブサイトでは塔・金堂が西向きに横に並ぶ法隆寺式伽藍配置、(2)奈良県歴史文化資源データベースでは塔・金堂が南向きに縦に並ぶ四天王寺式伽藍配置とされています。
なお、一部が王寺町に属する尼寺廃寺(香芝市)は、東向きの法隆寺式伽藍配置だとされています。
しかし、金堂跡の北にある田圃から木製燈籠の根元と考えられる柱が出土したことから、金堂が北向きの可能性もあるとして発掘調査が行われました。
残念ながら二つの石はありましたが、階段の痕跡は見つかりませんでした。
見学している時、岡島係長の案内で山岸常人京都大学名誉教授(建築史)が来られました。その後、発掘担当者を含む三人で版築(はんちく、粘土層と砂層を交互に突き固める方法)の年代等に関する鳩首協議が始まりました。現場に居合わせた私は、これ幸いと時間が経つのも忘れて傍聴しました。
その後、信貴山に向かうべく北に進むと、すぐに大和川です。往時はたくさんの魚梁船(やなぶね)が往来していましたから、船を利用しての参拝を考えると、全国的にも珍しい北向きの伽藍配置だったとしても不思議ではありません。