近畿文化会「牽牛子塚古墳と飛鳥の陵墓をめぐる」(奈良県明日香村)
令和4年11月6日(日)、近畿文化会の臨地講座「牽牛子塚古墳と飛鳥の陵墓をめぐる」(明日香村)に参加しました。講師は阪南大学教授の来村多加史先生です。
今回は、特に地形の面から陵墓を考えます。
来村先生は、7世紀に築かれた終末期古墳の立地場所に関して、次の四類型に分類されます。
(1)E字型:両側にやや長い尾根が突き出し、Eに似た地形の中央に立地。
(2)谷側部密着型:谷の側部にあって斜面にもたれるように立地。
(3)谷奥部密着型:谷の奥にあって斜面にもたれるように立地。
(4)谷奥部突出型:谷奥の尾根上を選ぶ立地。
最初に訪れる真弓地区にある岩屋山古墳は、「(1)E字型」です。切石積の横穴式石室にばかり気を取られていましたが、墳丘に登ってみると確かに南北に西から延びる尾根が見えます。
次に向かう牽牛子塚古墳は、八角墳であることに加えて、最高級の「(4)谷奥部突出型」の選地をしていることから、斉明天皇陵であることが確実視されます。
谷の最奥部でなく北へ偏った場所にあるのは、屈折地点で初めて目の前に見えることを計算してのことです。
午後に訪れる天武・持統陵も「(4)谷奥部突出型」の選地をしており、西に向かって開けた底が浅く懐が深い谷全体を支配しています。
天武・持統天皇の孫の文武天皇墓である可能性が高い中尾山古墳も「(4)谷奥部突出型」の選地をしており、北西に開けた谷を支配しています。
最後に訪れる高松塚古墳は「(3)谷奥部密着型」の選地をしており、支配する谷が狭いことからも、天武・持統陵や中尾山古墳よりは格下であることがわかります。
実際に現地を歩くことにより、終末期古墳の立地場所が持つ意味が重要であることが体感できました。