奈良国立博物館「記念講演会『聖徳太子-史実から信仰へ-』」

 令和3年5月1日(土)、奈良国立博物館に行き、午前中に特別展「聖徳太子と法隆寺」を観覧し、午後は記念講演会「聖徳太子ー史実から信仰へ」を聴講しました。受付開始後5分で満席になった人気講座です。


 講師の東野(とうの)治之先生(奈良大学・大阪大学名誉教授)は古代史研究の第一人者で、『聖徳太子』(岩波ジュニア新書)の著書もあります。
 コロナ禍で東博や京博が休館するなか、本当に開催されるのか不安に思っており、東野先生も冒頭でそのようなことを言われていましたが、無事に開催されました。


 講演のタイトルは「史実から信仰へ」ですが、内容は古代から近代にかけて聖徳太子は世の中にどのように受け入れられて来たか、です。

(1) 江戸時代まで
 『聖徳太子伝暦』(10世紀)を核に、①観音菩薩の生まれ変わり、②予知能力を備えた超人などと増幅されていた。『聖徳太子絵伝』(11世紀)も、黒駒に乗って富士山に行く姿などを描いている。


(2) 明治時代~敗戦前
 新たな太子信仰が創出されるとともに、戦意高揚に利用された。具体的には、『聖徳太子伝暦』の権威が失墜する反面、『上宮聖徳法王帝説』(成立は10世紀だが7世紀の伝えを含む。)が再発見されて、①天皇中心の政治、②随との国交、③中国文化の積極的摂取などが評価され、近代的な聖徳太子像が喧伝された。
 その結果、①聖徳太子(622年に死去)の理念が「大化の改新」(645年~)で実現、②大化の改新は明治維新の先駆け、とする史観が確立した。
 なお、前回の一千三百年御遠忌に関して、私が敬愛する會津八一の歌碑「うまやどの みこのまつりも」(法隆寺iセンター)が紹介されたのは嬉しかったです。

 
(3) 敗戦後
 敗戦後も皇族出身の「偉人」として生き延びて、平和国家・文化国家の象徴となった。これは、昭和天皇の変化と相似している。しかし、「以和為貴」(和を以て貴しとなし)は朝廷内の目標に過ぎず、世界平和を謳ったものではない

(2)に関しては、万葉学者の品田悦一先生が“万葉集は、近代国民国家の形成過程において国民の一体感を演出するための文化装置として機能してきた”と捉えておられる(『万葉集の発明』(笠間書院))のと同じ趣旨だと興味深く感じました。 

 

 聴講していた時には感じなかったのですが、このように整理してみると、結構、大胆なことを話しておられました。

 コロナ禍のなかで無理をして参加した甲斐がある充実した講演内容でした。

2021年05月01日