安土城跡(滋賀県近江八幡市)
令和4年12月14日(水)、国特別史跡「安土城」(滋賀県近江八幡市)に行きました。
織田信長が天正7(1579)年に安土山(99.7m)に築いた平山城ですが、「天主」を始め建物は残っていません。
安土城には、①城域全てが石垣、②本丸の中心に高層建築の天主、③全ての建物が瓦葺、と三つの特徴があり、日本城郭の革命とも言われています。
発掘調査結果に基づき復元整備された石段道「大手道」を北に進みます。この道に関して、滋賀県立大学名誉教授の中井均先生は、通常の登城道でなく、信長や賓客の登城時のみに使われる特別な通路だったとされます。
山麓に二段に構えられた壮大な屋敷地があり、「伝羽柴秀吉邸」と呼ばれていますが、中井先生は、信長の居館だったとされます。
二の丸には10mの高石垣があり、隅部は石材の長辺と短辺を交互に積む算木積となっています。
本丸には御殿の礎石が残ることから巨大な本丸御殿が建っていたことがわかり、天皇の行幸などに備えた特別な空間だったと考えられています。
本丸の北隅には、不等辺多角形形の天主台があります。
天守台には穴蔵と呼ばれる地下室があり、外観五重・内部七階と巨大な高層建築の天主が建っていました。
天主の外観を伝える絵図や絵画は全く残されておらず、「信長の館」に復原されている上層部分は推測によるものです。
天主台から北と西に琵琶湖が望め、陸路だけでなく湖上交通の要衝の地を選んだことがわかります。
本丸の南西にはかつて摠見寺があり、本堂跡から西には琵琶湖が見えます。
登城道には、重文「二王門」「三重塔」が残っています。
この登城道は西南の百々橋から始まっており、中井先生は、これが通常の登城道だったとされます。
百々橋がある城下町は、新宮神社、活津彦(いくつひこ)神社のそれぞれに向かう参道を基準として町割が行われています。二つの神社は築城以前から存在しており、信長は旧集落を活かしつつ城下町を築いたと考えられています。
二つの神社に初めて参拝しましたが、いずれも立派な社殿で驚きました。