置塩城跡(姫路市)
令和4年11月11日(金)、自宅から北に10km程のところにある国指定史跡「置塩(おきしお)城跡」(姫路市夢前町)に行きました。城山(371m)の山上に位置する山城で、東西600m・南北400mと播磨最大級の規模です。1469(文明元)年に赤松政則が築城してから五代にわたって赤松氏の居城となりました。
当初は山麓の居館などに拠点機能がありましたが、戦国時代に大規模な改修が行われて拠点機能が山城に移行したと考えられています。
縄張りは東西に大きく分かれており、東側が本丸などの主郭曲輪群です。
本丸の北・東・南は断崖絶壁で天然の要塞となっており、本丸から南には瀬戸内海も見えます
西側の二の丸・三の丸では庭園や礎石建物があったことが確認されました。このことから、二の丸には城主の居館が、三の丸には迎賓館があったと推定されています。
二の丸と三の丸の間には太い道があり、二の丸へはここから坂道を登る構造だったと考えられています。
三の丸の北には扇形の北曲輪群があります。
三の丸の西にある西曲輪群に沿って大手道があったと推定されているので進んでみましたが、大手門跡で通行止めとなっていました。
なお、姫路城「との一門」(通常は非公開)には、置塩城の大手門だったとの伝承があります。
三の丸の南にある曲輪には、大石垣が残ります。
南北に延びる尾根には防塁となる南曲輪群が広がり、高い切岸が確認できます。
じっくりと歩いてみて、地元にある置塩城の立派さを再確認しました。