玄蕃尾城(滋賀県長浜市・福井県敦賀市)
令和5年4月3日(月)、玄蕃尾城(げんばおじょう、長浜市・敦賀市)に行きました。
柴田勝家が羽柴秀吉と戦った賤ヶ岳の合戦では、約20の城砦が築かれましたが、勝家の本陣となったのが玄蕃尾城です。
穏やかな山道を進み、倉阪峠から椿が咲き誇る急な斜面を登ります。
登り切ったところが柳ヶ瀬山頂(439.1m)で、四等三角点があります。
東尾根の穏やかな山道を進めば、国指定史跡「玄蕃尾城」です。
縄張(設計プラン)は技巧的で規模が大きく、短期間で臨時的に造られたものではないと考えられます。
植林されていないため、土塁(土を盛り上げた防御施設)、堀切(尾根を切断した空堀)など築城当時の遺構を見ることができます。
大手道を北に進めばⅦ郭「虎口(出入口)」です。郭の内側は二段で、敵に対して上段から攻撃できるようになっています。
Ⅵ郭の先にあるⅡ郭は、主郭1の正面虎口の馬出(うまだし、敵と戦う陣地)だと考えられます。
主郭Ⅰは一辺40mの正方形で、東北隅には方形の土壇Aがあります。
土壇Aの上面には礎石が残っていることから、櫓台だったと考えられます。
東部に張り出しているⅢ郭は見張り台の役割を果たしていました。
Ⅳ郭も馬出で、土橋を渡ればⅤ郭です。
Ⅴ郭は主郭Ⅰ郭より広いのですが、造成が雑であることから、兵站基地の役割を果たしていたと考えられています。
実際に現地を歩いてみて、“織豊系の陣城(じんじろ、臨時に築いた城)の到達点を示す遺構”(中井均先生)であることが体感できました。