ちとせなら「巨勢谷の非公開古墳を巡る(奈良県御所市、高取町)」
令和5年6月16日(金)、ちとせなら「巨勢谷の非公開古墳を巡る(御所(ごせ)市、高取町)」に参加しました。案内は雜賀耕三郎さんです。
飛鳥から西南に宇智(うち)郡を経て紀州に通じるのが古代の紀路(きじ、旧高野街道)で、その途中にあるのが巨勢(こせ)谷です。
巨勢谷一帯を支配していた葛城氏が衰退した後、新興の巨勢(許勢)氏が本拠地としました。今回探訪するのは、巨勢氏が古墳時代後期(6世紀)に築いた古墳で、いずれも大規模な横穴式石室を持っています。
最初に訪れるのは、御所市の水泥(みどろ)北(塚穴)古墳と南古墳です。
北古墳は直径20mの円墳で、西尾さんのお宅の裏庭にあります。
両袖式の横穴式石室は全長13.4mで、玄室は長さ5.6m・幅2.9m・高さ3.3mです。羨道は2段に積み、玄室の側壁は3~4石を3段・奥壁は1石を2段に積んでいます。
石室の平面プランは、茅原狐塚古墳(桜井市)と共通していることから同設計である可能性が高いとされます。
南古墳も西尾さんの所有地にある直径25mの円墳です。両袖式の横穴式石室は全長15mで、玄室は長さ4.6m・幅2.4m・高さ2.6mです。
玄室と羨道に刳抜式家形石棺が置かれており、玄室のものは二上山の凝灰岩、羨道のものはハイアロクラスタイト「竜山石」で作られています。
玄室までたどり着けないため、玄室の石棺は羨道の石棺越しに眺めるだけです。
羨道の石棺はギリギリの幅に置かれており、側面の縄掛突起には搬入時に削られた跡が残っています。小口部の縄掛突起には蓮華文が彫られており、古墳文化と仏教文化の結合例だとされています。
次に訪れるのは、直径25mの円墳(前方後円墳の可能性もある)新宮山(しんぐうやま)古墳です。御所市役所の人に特別に鍵を開けてもらい、石室に入ります。
両袖式の横穴式石室は全長13.6mで、玄室は長さ6.1m・幅2.3m・高さ3.0mです。
玄室には結晶片岩の組合式箱形石棺の一部が残り、その前には竜山石製の刳抜式家形石棺が置かれています。
家形石棺の盗掘穴から中を覗くと、赤色顔料が確認できます。
最後は、全長47mの前方後円墳・市尾宮塚古墳(高取町)で、前方部は削平されて低くなっています。
こちらも、高取町役場の方に特別に鍵を開けてもらい、石室に入ります。
両袖式の横穴式石室は全長11.6mで、玄室は長さ6.2m・幅2.5m・高さ3.0mです。
二上山凝灰岩製の刳抜式石棺の側面の縄掛突起からは赤色塗料が確認できます。
通常では入りにくい巨勢谷にある四つの古墳の石室に入ることにより、巨勢氏が持っていた勢力の大きさを体感できました。