阪本仙次レガシーを辿る旅(奈良県吉野町、大淀町)
令和4年3月27日(日)、阪本仙次顕彰会(チーム・サカセン)主催の「阪本仙次レガシーを辿る旅(吉野町・大淀町)」に参加しました。
阪本仙次(さかもとせんじ)は吉野町に生まれた大実業家で、近鉄吉野線の前身「吉野鉄道」の社長や、後に合併して南都銀行になった「吉野銀行」頭取などを務めました。
最初に訪問するのは、近鉄吉野線の高架橋「薬水門(くすりみずもん)」です。吉野からの帰り、福神駅を過ぎて右手に見えるので以前から気になっていました。
煉瓦造りのアーチ橋で、道路と川と二つに分かれています。
壁面は煉瓦の長手の段と小口の段が交互のイギリス積み・天井は長手積みです。
門の少し先には、地名「薬水」の由来となった「薬水の井戸」があります。
吉野方向に戻り、六田(むだ)駅で下車します。
1912(大正元)年に開通した吉野軽便鉄道の終着駅「吉野駅」跡で、1928(昭和3)年、吉野鉄道が現在の吉野駅まで延伸された際に「六田駅」と改称されました。
次は、六田駅から二駅先の吉野神宮駅です。
岩崎平太郎の設計で、急な勾配と穏かな勾配が組み合わされた大和棟風の建物です。ハート形の猪目(いのめ、魔除けのイノシシの目)の剥抜・桜花型の釘隠しなど凝った意匠です。
ここからマイクロバスで吉野山・上千本に移動します。
昼食後の見学場所は、本日の目玉とも言うべき白雲荘(はくうんそう)です。1927(昭和2)年に完成した阪本仙次の別邸で、岩崎平太郎の設計です。
意匠を凝らした数寄屋建築ですが、金峯山寺「蔵王堂」が見える北西面には障子がなく、特製のカーテンレールが付けられています。
地階は奈良県で初めてのコンクリート造りと対照的です。
見学後、最後の見学場所の吉野駅まで歩きます。
吉野神宮駅・白雲荘と同様に岩崎平太郎の設計で、改札口上にあるアラビック模様の意匠が特徴的です。
奈良県を代表する大実業家・阪本仙次の偉大さを再認識した一日でした。