やまとびとツアーズ「名物ガイドと橿原・飛鳥の古墳に入ろう!」(奈良県橿原市、明日香村)
令和4年5月14日(土)午後、やまとびとツアーズ「名物ガイドと橿原・飛鳥の古墳に入ろう!」に参加しました。名物ガイドとは、雑賀耕三郎さんのことです。
今回のツアーの目玉は、最初に訪れる橿原市の二つの古墳です。普段は石室の入口に鍵が掛かっているのですが、市職員の方に特別に鍵を開けてもらえるのです。
最初に訪れる県史跡「小谷古墳」は、橿原市の最高峰「貝吹山」(210.3m)から北東に延びる越智丘陵の先端にあります。
墳丘の半分は壊れていますが一辺35mの方墳だと考えられており、全長11.6mの両袖式横穴式石室は南に開口しています。
石室は巨石で構成されており、羨道には3つの石が並んでいます。
玄室の奥壁は上下に2つの石が積まれています。
玄門上部などに残る漆喰は、7世紀中頃の築造当初のものです。
玄室には、堆積岩「ハイアロクラスタイト」の竜山石で造られた刳抜式石棺が残されています。蓋は縄掛け突起がない新しいタイプのものです。
羨道の長さは半分程度ですが岩屋山古墳(明日香村)と良く似た構造で、斉明天皇陵との説があったことも納得できる立派さです。
ここから越智丘陵を南東に移動して、沼山古墳に向かいます。
直径18mの円墳で、全長9.5mの右片袖式横穴式石室は南に開口しています。
築造時期は小谷古墳より古い6世紀後半、石室は石材を7~8段積み上げています。5段目以上は持ち送りで、天井は4.25mと高くなっています。
副葬品としてミニチュア炊飯具が出土したことから、渡来系の人々の墳墓だと考えられています。
ここから南に急坂を登れば、県史跡「益田岩船」です。東西11m・南北8m・高さ5mの花崗岩の巨石で、上部には、一辺1.6m・深さ1.3mの正方形の穴が二つ東西に並んで彫り込まれています。
何のためのものなのか古くから議論がありました。現在では、二つの墓室を持つ刳抜式横口式石槨(せっかく、小型化した切石式石室)を造ろうとしたが何らかの理由で途中で放棄したものとする説が有力です。
山道を少し歩けば、斉明天皇陵の可能性が高い八角墳「牽牛子塚古墳」で、復元整備に際して表面に凝灰岩の切石が貼られました。
埋葬施設は2つの墓室を持つ刳抜式横口式石槨で柔らかい堆積岩「凝灰岩」で造られていますが、前に残る外部閉塞石は堅い火成岩「安山岩」です。
牽牛子塚古墳の前には、一辺10mの方墳「越塚御門古墳」があります。
埋葬施設として刳抜式横口式石槨が見つかり、発掘当初の状態で展示されています。ただし、こちらは堅い火成岩「石英閃緑岩(飛鳥石)」で造られており、天井部と床石に分かれています(鬼の雪隠・俎と同じ構造)。
最後は、岩屋山古墳です。7世紀中頃に築造された一辺40m・二段築成の方墳ですが、上段を八角形として斉明天皇陵だとする見解もありました。
全長17.78mの切石二段積み横穴式石室は極めて精緻な構造で「岩屋山式石室」として標準になっています。
さまざまなタイプの石室や石槨を楽しんだ半日でした。