吉野ビジターズビューロー「能楽師と行く吉野の謡蹟巡り」(奈良県吉野町)
令和4年9月11日(日)、吉野ビジターズビューロー「能楽師と行く吉野の謡蹟巡り」に参加しました。講師は京都観世流シテ方の松井美樹さんです。
浄見原神社や勝手神社は、5年前の9月に吉野ビジターズビューローが行ったツアーでも訪れて、能楽研究者の池田淳先生から説明を受けました。
今回は能楽師の方から一味違った説明が聴けるものと期待して参加したところ、期待以上の成果がありました。資料として、謡本(うたいぼん)の該当箇所だけでなく五線譜に書き直したものまで用意されており、現地で謡う真似事までできました。
最初の訪問地は、国栖奏で有名な浄見原(きよみはら)神社です。この地を舞台とした『国栖』は、大友皇子から追われた大海人皇子(天武天皇)を国栖の翁が守る場面から始まり、金峯山寺の本尊である蔵王権現と天女が大海人皇子の王威を称える場面で終わります。社殿の前で、「子守の御前蔵王とは」の一節を謡いました。
次は、西の菜摘(なつみ)に移動して、花籠神社に参拝します。
この神社は、谷﨑潤一郎『吉野葛』にも登場する大谷家(かつては村国姓)が護っておられ、その名称は、吉野山におられた天武天皇に花籠を供えたことに由来すると言われています。ご当主の大谷さんから直々に説明いただきました。
ここでは、義経に仕えた静と静の霊が憑依した菜摘の女が二人で舞う『二人静』の一節「花の松風静が跡を弔ひ給へ」を謡います。
吉野山に移動して、如意輪寺に行きます。
境内に隣接して後醍醐天皇陵があり、陵前で楠木正成の遺子・正行(まさつら)が四条畷の決戦に向けて誓い合ったと伝えられています。
正行が辞世の歌を書き連ねたと言う如意輪堂(現本堂)の前で、明治時代に作られた『樟露』の一節「主従の別れも今更に」を謡います。
昼食後は、勝手神社です。平成13年の不審火で社殿が焼失しており、痛ましい状態です。
背後の袖振山を含めて『吉野天人』『吉野琴』『吉野静』の舞台となっており、天女が花を愛で御代を称えて舞う『吉野天人』の一節「言ひもあへねば雲の上」を謡います。
最後は、金峯山寺「蔵王堂」です。
五條永教執行長から法話を聴いた後、『嵐山』の一節「子持勝手蔵王権現同體異名の姿を見せて」を謡います。舞台となる京都・嵐山の桜は吉野・嵐山の桜を移したものであり、吉野の子守明神(吉野水分神社)や勝手明神(勝手神社)、さらに蔵王権現が登場します。
なお、蔵王権現様は右足を上げておられますが、松井さんから、能の演目によっては左足を上げる場合もあると興味深い話がありました。
能楽の視点から吉野の魅力を再発見した一日でした。