近鉄文化サロン「笠置寺弥勒立像磨崖仏の復元」
令和4年5月21日(土)午後、近鉄文化サロン「笠置寺弥勒立像磨崖仏の復元」を聴講しました。講師は大阪大谷大学教授の狭川真一先生で、石造物研究の第一人者です。
鹿鷺山笠置寺は京都府笠置町に位置しますが、奈良市柳生から東海自然歩道を歩いて1時間程度の近さで、文化圏としては奈良に属しています。
寺伝では飛鳥時代創建となっていますが、実際の創建は奈良時代と考えられます。
境内には巨石がゴロゴロしており、修行場を持つ山岳寺院でした。
ご本尊は高さ15mの巨石に彫られた弥勒立像磨崖仏ですが、鎌倉時代の「元弘の変」(1331年)で焼失してしまい、今は光背の輪郭が残るだけです。
この磨崖仏については、次の理由により、線刻だと考えられてきました。
(1) この磨崖仏をモデルにしたとされる鎌倉時代の「大野寺弥勒磨崖仏」(宇陀市)や「みろく辻弥勒摩崖仏」(京都府木津川市)が線刻。
(2) 笠置寺に残る「伝虚空蔵菩薩立像磨崖仏」が線刻。
これに対して、狭川先生は、次の仮説を立てられます。
(1) 焼失部分を観察すると、全体的に膨れた感じがする。線刻だと凹むはずなので、浮彫だったのではないか。
(2) 焼失部分の表面に削(はつ)った痕跡がある。線刻あるいは絵画で復元を試みたのではないか。
これを検証するための方策を検討されますが、①20度程度前傾しており拓本の採取は困難、②大規模な足場を組む必要があるのでステレオ写真による写真測量は困難です。
そこで、知り合いの測量会社の方に相談して、①3Dレーザー・スキャン、②ドローン撮影したデータを補足、③20度の前傾を正面に補正して等高線図を作成されました。その結果、浮彫だったことが判明しました。
さらに、この磨崖仏を描いた鎌倉時代の重文「絹本著色笠置曼荼羅図」(大和文華館)では左右に僧形像が描かれているが、石仏にはそのスペースがないとことも確認できました。
最後に、①堅い花崗岩の加工技術は日本独自のものでないこと、②頭部が大きいことから、制作したのは渡来系の石工集団ではないかと結論づけられます。
新しい科学技術を活用することを楽しんで研究されていることが感じられる講演でした。