斉明天皇関連の史跡(奈良県明日香村)
令和4年4月1日(金)午後、明日香村に行き、斉明天皇(重祚前は皇極天皇)に関係する史跡を回りました。
斉明天皇は飛鳥時代の女帝で、天智天皇・天武天皇の母です。
土木事業を好み、石上山(いそのかみやま、豊田山(天理市、180m))の天理砂岩を飛鳥に運ぶために作った人工運河は「狂心の渠(たわぶれごころのみぞ)」と呼ばれたと日本書紀は伝えています。
近鉄飛鳥駅から歩いて西に進み、牽牛子塚(けんごしづか)古墳に行きます。対辺長22m・高さ4.5mの八角形墳で、斉明天皇陵であることが確実視されており、3月上旬に復元整備が完成したばかりです。
全面を石張りにした復元方法については、賛否両論がありますが、実際に見ると意外に地味だなと感じました。
飛鳥駅に戻り、レンタサイクルを借りて東の中心部を回ります。
「飛鳥宮跡」は、かつては「伝飛鳥板蓋宮跡」と呼ばれていましたが、舒明天皇「飛鳥岡本宮」・皇極天皇「飛鳥板蓋宮」・斉明天皇「後飛鳥岡本宮」・天武持統天皇「飛鳥浄御原宮」など複数の宮が継続的に置かれていたことが判明したので、名称が変更されました。
次は、メインの酒船石(さかふねいし)遺跡で、酒船石・亀形石造物・石垣状遺構から構成されます。
酒船石と亀形石造物は天皇祭祀に関連する導水施設だと考えられています。
最も重要なのは石垣状遺構で、石英閃緑岩(花崗岩)を直方体に加工した切石を基礎石とし、その上に凝灰岩質細粒砂岩の切石を積み上げられていることから、日本書紀の「石の山丘」の重要な構成要素だと考えられています。
少し北に移動すれば、飛鳥坐神社参道の南に「飛鳥東垣内(ひがしがいと)遺跡」があります。
幅10m・深さ1.3mの南北に延びる溝で、酒船石遺跡の東裾に向かっています。西岸は花崗岩川原石を積んで護岸されており、一部には石上山産の切石が使われていることから、日本書紀の「狂心の渠」だと考えられます。もっと注目されても良い遺跡だと思います。
史跡探訪の途中、精緻な石室で有名な岩屋山古墳、石舞台古墳、甘樫丘で桜を楽しみました。
明日香村の狭い地域ですが、やはり半日で回るのは無理がありました。