探訪「和歌山県の有間皇子関連史跡」

 令和4年4月5日(火)、和歌山県にある有間皇子(ありまのみこ)の史跡を訪ねました。


 有間皇子は孝徳天皇の皇子で有力な皇位継承候補でしたが、伯母の斉明天皇に対して謀反「有間皇子の乱」を企てたとして殺害されました。この乱に関しては、我が子・中大兄皇子(天智天皇)に皇位を継がせたい斉明天皇の策略だとする説が有力です。
 最初に、白浜温泉(牟婁の湯、白浜町)を訪ねます。


 温泉の素晴らしさを有間皇子から伝えられた斉明天皇は、中大兄皇子とともに湯治に訪れました。その時、飛鳥に残っていた有間皇子が蘇我赤兄に唆されて謀反を企てたとされます。
 有間皇子は白浜温泉の名を広めた恩人だとして、白砂青松の光景が広がる地に石碑「有間皇子之碑」が建てられています。

 


 近くの熊野三所神社の本殿右手前には、斉明天皇が座ったとされるた玉座石が祀られています。

 


 次は、「岩代の結松(いわしろのむすびまつ)」(みなべ町)です。


 飛鳥で捕らえられた有間皇子は、白浜温泉まで護送されました。その途中、この地で詠んだ万葉歌が有名です。
 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへり見む(巻2・141)
 国道42線沿いに、徳富蘇峰揮毫の「有間皇子結松記念碑」が建てられています。


 少し北には澤瀉久孝揮毫の万葉歌碑が建てられています。元々は国道24号線沿いにあったのですが、2005(平成17)年、この場所に移されました。


 隣には、犬養孝先生揮毫の万葉歌碑もあります。澤瀉歌碑の移設に合わせて、新たに建立されたそうです。
 君が代も わが代も知るや 岩代の 岡の草根を いざ結びてな(巻1・10)


 落ち着いた雰囲気の場所に万葉の大家お二人の歌碑が並んでいるのは嬉しいことです。

 

 岩代で枝結びの呪術を行なった有間皇子ですが、白浜温泉からの帰途、藤白坂(海南市)で絞殺されました。


 藤白坂の上り口の「有間皇子史跡」には、佐佐木信綱揮毫の万葉歌碑が建てられており、横には「有間皇子墓」と彫られた石柱も建っています。
 家にあれば 笥(け、器)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(巻2・142)


 近くにある藤白神社は、垂仁天皇が創建し、斉明天皇が社殿を建てたと伝わっています。

 

 一方、境内には「有間皇子神社」があります。先の墓碑と同様、この地の人々は非業の死を遂げた有間皇子に深く同情しているのでしょう。

 

 御坊市にある一辺13mの方墳・岩内古墳群1号墳は夾紵棺(きょうちょかん、漆を接着剤にして布を何枚も重ねて張り固めた棺)などが発見されたことから、有間皇子の墓の可能性が高いとされています。


 周囲は宅地開発が進んでいますが、かつては悲劇の皇子にふさわしい静かな地だっだのでしょう。


 同じような境遇の大津皇子に関連する史跡は奈良県内にあるのですが、有間皇子に関する史跡はなぜか奈良県にはありません。
 そのため、史跡を訪ねて和歌山県に遠征しましたが、現地を訪ねることにより新たな発見がありました。

 

【参考(公共交通機関等を利用した私の行程)】
◎往路01
 新大阪7:35(くろしお1号)→10:10白浜
 ☆有間皇子之碑(白浜駅から西へ4.6km)

 ☆熊野三所神社
 〇駅レンタカー白浜営業所「レンタサイクル」(1日500円)
 ※坂を登るのでパワーアシスト自転車かタクシー利用が適当。
 〇昼食
◎往路02
 白浜12:00→12:13紀伊田辺12:19→12:32岩代
 ☆有間皇子結松記念碑(岩代駅から西へ1.0km)
 ☆万葉歌碑(巻2・141、沢潟久孝)(巻1・10、犬養孝)
◎往路03
 岩代13:51→14:21御坊
 ☆岩内古墳群1号墳(御坊駅から南東へ3.7km)
 〇有間皇子の墓か?
 〇丸仁商店「レンタサイクル」(半日400円)
 ※基本的には目的地周辺まで平地。タクシー利用も検討。
◎往路04
 御坊15:33→16:21海南
 ☆藤白神社「有間皇子神社」

 ☆藤代坂「有間皇子史跡」(万葉歌碑(巻2・142、佐佐木信綱)、墓碑)(海南駅から南へ1.5km)
◎復路
 海南17:39(くろしお28号)→18:50新大阪

2022年04月05日|古墳:その他|建造物:神社|歴史:古代