近畿文化会「松永久秀と信貴山城」(奈良県王寺町→平群町)

 令和3年11月14日(日)、近畿文化会「松永久秀と信貴山城」に参加しました。
 講師を務める天理大学准教授の天野忠幸先生は、松永久秀(弾正)研究の第一人者で『松永久秀と下克上』(平凡社、2018年)などの著作があり、城郭にも造詣が深い方です。
 最初に、講義を聴きます。久秀には、(1)主君・三好氏の毒殺、(2)将軍・足利義昭の暗殺、(3)東大寺・大仏殿の焼き討ち、(4)織田信長への謀反などで悪評が高い存在です。しかし、これらは全て、後世、信長を英雄視するために評価するために作られた虚構で、典拠となっている『太かうさまくんきのうち』は信用できない史料だとされます。

 


 講演後、達磨寺(奈良県王寺町)にある久秀の墓に行きます。

 信貴山城の戦いに敗れた久秀は自害し、その首は安土の信長の元に送られました。この首を、宿敵の筒井順慶が葬ったと伝えられる墓で、毎年10月10日前後に法要が営まれています。


 ただし、江戸時代の『大和名所図会』には「松永つか」として宝篋印塔が描かれていますが、今に残るのは宝篋印塔ではありません筒井順慶を称える視点から誕生した伝承の可能性もあり、天野先生に事の真偽を尋ねましたが、“達磨寺との友好関係を保ちたい”とノーコメントでした(笑)

 


 午後は、久秀が築いた信貴山城(しぎさんじょう、奈良県・平群町)跡に行きます。

 

 

 城は信貴山の雄岳(434m)と雌岳の間に展開されて、主郭があった雄岳山頂には大きな岩があります

 この大岩に対する庶民の信仰を利用する意図もあり、ここに城を築いたとするのが天野先生の見解です。

 


 山頂の空鉢護堂(くうはつごほうどう)から南には視界が開け葛城山・金剛山・二上山・明神山・畝傍山など絶景が楽しめます。

 

 東の林道を北に向かって「松永屋敷跡」をめざします。林道から土塁を登れば、南北に長く立派な五段の曲輪の中央に出ます。
 信貴山城址保全研究会の方々が階段を付ける・倒木を取り除くなど整備を進めておられるので、見学しやすくなっています。天野先生が学生時代は草茫々で調査するのに苦労されたそうです。

 

 

 この曲輪は「松永屋敷跡」と呼ばれていますが、(1)主郭から見下ろされる位置にあること、(2)「松永兵部大輔(一族の秀長)殿屋敷」と書いた史料があることから、臣下の居所だとされます。


 時間の都合で雌岳山頂の曲輪には行けませんでした。
 ぜひ、ケーブル跡のハイキング道を通って信貴山に登り、雌岳の曲輪や雄岳の松永屋敷跡をじっくりと見た後、西にある古代山城「高安城」(大阪府八尾市)にも寄りたいと思います。

2021年11月14日|城郭:山城|歴史:中世|奈良県:その他