やまとびとツアーズ「高畑町在住ガイドと巡る、春日大社の社家町“高畑町”特別公開ツアー」(奈良市)
令和4年7月16日(土)、やまとびとツアーズ「高畑町在住ガイドと巡る、春日大社の社家町“高畑町”特別公開ツアー」に参加しました。
ガイドの大槻旭彦氏は、老舗喫茶店「アカダマ」を閉めた後は地域の歴史を研究し、昨年、『奈良 高畑町界隈』を出版されました。
現在の高畑(たかばたけ)は広域にわたりますが、大槻さんが高畑とされるのは新薬師寺跡地と春日大社の間に展開する地域に限定されます。
今回のツアーが、大槻さんにとっては初めてのガイド経験だそうです。
最初に、奈良教育大学構内にある6世紀初頭・直径20mの円墳「吉備塚古墳」を訪ねます。2002年の発掘調査で、割竹形木棺・箱形木棺と二基の埋葬施設が確認されました。
8世紀の政治家・吉備真備の墓と伝えられ、登ると祟りがあるとの伝承がありました。こうした伝承があるため、周囲の古墳が破壊されるなか、この古墳はだけは残りました。
かつては、北にある閼伽井庵から吉備塚に参拝したと伝えられています。その名称は、光明皇后が患った目を洗った閼伽井(井戸)があったことに由来するとの伝承もあります。
今は小さい赤穂(あかほ)神社は、かつては式内社でした。境内には比賣(ひめ)塚があり、藤原鎌足の娘で天武天皇の妃だった氷上夫人の墓だとの伝承があります。
柳堂地蔵は普段は厨子の扉が閉まっていますが、特別に拝観できました。左足の上に右足を乗せた半跏踏下像です。
次に、民家の庭先にある「破石(わりいし)」を特別に拝見します。『続日本紀』に“西大寺東塔の心礎に酒を注いで割った”と書かれている石で、触ると祟りがあると言われています。
大槻さんは、新薬師寺の西端を示す結界石だと推定されます。
フェンス越しに奈良教育大学構内にある新薬師寺金堂跡を見た後、鏡神社に向かいます。
鏡神社の手前には、吉備真備とともに入唐した僧・玄坊の胴を埋めたとされる胴塚が残っています。
鏡神社の祭神・藤原広嗣は不比等の孫で、吉備真備と玄坊の排斥を求めて乱を起こしましたが、斬殺されました。その怨霊を鎮めるために鏡神社が創建されたと伝えられています。
特別に、本殿の近くまで入れていただきます。春日大社の第三殿を延享3(1746)年に移したもので、30年振りの修復が終わったばかりです。
新薬師寺に隣接していますが、鎮守社ではありません。大槻さんは、この地の南に吉備真備が創建した清水寺(せいすいじ)があり、その鎮守社だったが廃絶に伴って移転したと推定されます。
国登録有形文化財「藤間(とうま)家住宅」は、7月3日(日)に続いて特別に拝見します。
社家住宅は北郷と南郷に分かれており、高畑は南郷なので藤間家もそうだと思い込んでいたのですが、北郷禰宜家惣代を務めた禰宜家ですが、南郷に移ってこられたそうです。
表座敷の床の間は、落掛けを用いず長押を回していることから、かつては祭壇(神棚)だったと可能性があります。
最後は、頭塔(ずとう)です。
玄坊の首塚との伝説がありましたが、神護慶雲元(767)年、東大寺の良弁の命により実忠が建てた五層・瓦葺の土塔だと判明しました。基壇裾の下から横穴式石室を持つ6世紀の頭塔下古墳が見つかりました。
現在、北東にあったウェルネス飛鳥路の建物が撤去されているので、塔頂の五輪塔も見ることができます。
行ったことのある場所ばかりでしたが、地域の歴史を深く研究されている大槻さんの案内で、高畑町の奥深い魅力を知ることができました。