辻井廃寺跡(姫路市)
辻井廃寺跡(姫路市辻井)は、姫路城の西北西2kmの場所にあります。北側を辻井バイパスが走っており、その築造工事に先立って1982(昭和57)年から発掘調査が行われました。
発掘調査の結果、寺域は南北200m・東西120~200mと想定されています。塔跡の心礎は元位置を保っていましたが、基壇の痕跡は見つかりませんでした。
この塔心礎は、小冊子『姫路の古代寺院をたずねて』の表紙写真となっています。
出土した瓦が川原寺(奈良県明日香村)式系列であることから、創建は7世紀末~8世紀初頭と考えられています。
塔心礎の石材は流紋岩質凝灰岩で中央に二段彫りの枘穴があります。V字溝は心礎の解体を図ったと思われる矢穴痕ですが、付けられた時期は不明です。
また、塔跡の北東では礎石建物跡が見つかり、講堂跡と考えられています。講堂跡の北と西には、僧坊跡と考えられる建物跡が確認されましたが、今は、辻井バイパス沿いに石柱が建っているだけです。
出土した礎石は、名古山霊苑の一角に置かれています。
塔跡の東には土壇が存在していたことから、ここが金堂跡で、法隆寺式伽藍配置である可能性が高いと考えられています。ただし、発掘調査の結果では金堂基壇の痕跡は見つかっていません。
塔跡と金堂跡と覚しき場所は田圃でしたが、宅地化が進んでいることから、どうなるのか危惧していました。
そうした中、2020(令和2)年12月に現地に行ってみたところ、宅地開発事業が計画されていました。
2021(令和3)年3月には宅地造開発事業が進んでいたので、姫路市文化財課に尋ねたところ、事業者の協力で現地保存して、姫路市が保護顕彰するとの返事がありました。
2021(令和3)年5月に現地を確認したところ、塔心礎がある一角は区切られていました。 周囲に住宅が建てば、一方向からしか見ることができなくなりますが、現地での保存は喜ばしいことです。
一方、見野廃寺跡(姫路市四郷町)の塔心礎は、個人の別邸(現在は姫路文学館「望景邸」、姫路市山野井町)に移されたうえ、枘穴を大きく削って手水鉢として使われているのですから、残念なことです。