やまとびとツアーズ「名物ガイドと宇陀の古墳に入ろう!」(奈良県宇陀市)
令和3年5月29日(土)、やまとびとツアーズの「名物ガイドと宇陀の古墳に入ろう!」に参加しました。ちなみに、「名物ガイド」とは雜賀耕三郎さんのことです。
宇陀地方は、奈良県北東部に位置して三重県と接しており、奈良盆地とは異なる独自の文化圏を形成していました。榛原に本格的な古墳が出現したのは四世紀後半であることから、東国への交通路を確保するため、この時期に大和王権の傘下に組み込まれたと考えられています。その後、五世紀末から六世紀にかけて各地に小型の前方後円墳が出現しましたが、100mを超える前方後円墳を営むような勢力は現れませんでした。
近鉄榛原駅から路線バスで大宇陀まで移動します。最初に訪れる「香久山古墳」は全長42mの前方後円墳です。横穴式石室は宇陀の首長層が初めて採用したもので、全長9.6m、玄室は長さ3.8m・幅2.5mと宇陀最大規模の大きさです。
南には、飛鳥時代に柿本人麻呂が萬葉歌「ひむがしの のにかぎろひの」(巻1―48)で詠んだ阿騎野が広がります。下から見上げると、さぞ威容を誇っていたことでしょう。
各自で昼食を食べた後(私は奥大和ビール醸造所でスパイスカレー+地ビール)、タクシーで東の菟田野(うたの)に移動し、北東に向かって稜線を登ります。最初に全長50mと宇陀では最大規模の前方後円墳「不動塚1号墳」が出現しますが、残念ながら石室入口が崩落しています。
さらに東に進んで「不動塚2号墳」に向かいます。直径17mの円墳で、1号墳より3m高い稜線山頂部を占めていることから、こちらの方が古い可能性があります。石室は全長5.5m、右片袖式の玄室は長さ4.6m・幅1.4mとこぢんまりしています。
路線バスで近鉄榛原駅に戻り、北東部に進んで、南北に伸びる「榛原ひのき坂」に向かいます。住宅街にある「奥ノ芝1号墳」「奥ノ芝2号墳」はともに直径10mの円墳で、南に開口する横穴式石室を持っています。いずれも榛原石(溶結凝灰岩)の板石を小口積みした磚積石室です。
普段、二つの石室は施錠されているのですが、やまとびとツアーズの岡下さんが宇陀市文化財課から鍵を借りてくれていたので、入ることができました。さらに、宇陀市の方が2号墳の草刈りをされていたので、墳丘の形を確認することができました。
両古墳の石室を比べると、(1)全長は1号墳が6.3m・2号墳が7.0m、(2)側壁は1号墳が直線的・2号墳が曲線的、と微妙に異なっています。
なお、1号墳は宅地開発業者に破壊されたものを再構築したものですが、名石工・左野勝司が担当されたそうで違和感がありません。側壁と奥壁の接合部分にL字型の磚を使うなど凝った造りです。
2号墳の石室には板石を組み合わせた箱型石棺が残っています。
榛原石の磚積石室と聞いて連想するのは「花山西塚古墳」(桜井市)ですが、時代的に新しい花山西塚古墳には(1)玄室の奥に横口式石槨がある、(2)側壁が上部できつく内傾している等の特長があります。
絶妙なコース設定で、大宇陀・菟田野・榛原の代表的な古墳を探訪することができました。
時間の都合で寄れなかった大宇陀の円墳「谷脇古墳」にも、ぜひ行きたいと思います。