奈良博特別鑑賞会「聖林寺十一面観音」
令和4年2月9日(水)夕方、当選した奈良博プレミアムカード会員対象特別鑑賞会「聖林寺十一面観音」に参加しました。
最初に、講堂で岩井共二美術室長から講演「聖林寺十一面観音菩薩立像をめぐって」を聞きます。
(1)奈良博との縁
和辻哲郎が『古寺巡礼』で絶賛したことで有名になったが、和辻が初めて見たのは奈良帝室博物館(現「なら仏像館」)。
(2)サブタイトル「三輪山信仰のみほとけ」
ア 2021年の東博では、十一面観音の背景が三つ鳥居と三輪山だったが、これは大御輪寺伝来の仏像であることを強調する趣旨(①神仏習合、②大神神社の自然信仰)。
イ 奈良博だと実際の位置関係と違うことがすぐにバレルので、そんな「インチキ」はしない。
(3)大神神社由来の仏像を一堂に展示する意義
ア 明治初期の神仏分離で、大御輪寺の仏像は他寺に移管。
イ 和辻が『古寺巡礼』で伝聞として“十一面観音は道ばたに捨てられていたが拾われた”と書いているのは誤りで、聖林寺から大御輪寺に宛てた覚が存在。
ウ 和辻が十一面観音を高く評価していることは正しいが、異人・超人らしさを否定する部分は誤り。
エ 同時に地蔵菩薩立像も預けられたが、①聖林寺本尊が子安延命地蔵であること、②スペースがないことから、法隆寺に移管。現存最古級で神像の可能性あり。
オ 正暦寺に預けられた日光菩薩・月光菩薩は作風が異なり、別々の尊像がペアにされた可能性あり。
(4)十一面観音像
ア 当初から大御輪寺におられたかどうかに関しては様々な説。
イ 光背は下部が木心乾漆・上部が透彫りと華奢であり、別の寺から移したのなら光背残欠も残らないはず。
ウ 8世紀後半に作られた木心乾漆象で、木屎漆(こくそうるし)における漆使用率は20%と少ない。
エ 柔らかみのある繊細な造形で、東大寺にあった官営工房で制作か。
オ 目の下のひび割れが残念だが致命的なものではなく、吊り上がった切れ目など厳しい顔立ち。
カ 腰高のすらりとしたプロポーションで、胸が厚く腰が細い。
キ 衣のひだは平安前期の翻波式衣文を思わせ、次の時代様式の萌芽。
【個人的質問】
講演終了後、降壇された際に個人的に質問しました。
Q:東博と違って十一面観音の背後に鳥居などを配置していないのは、元学芸部長の西山厚先生などから批判があったからか。
A:奈良の人なら位置関係がおかしいことがすぐにわかるので、我々は最初からあんな「インチキ」をするつもりはなかった。
Q:『奈良国立博物館だより 第120号』で、町田甲一の聖林寺像に対する低評価を批判しておられたが、その話が聞けなく残念だった。
A:時間がないので町田批判はできなかった。あの文は、町田説が完全に誤っていることを示すために書いた。
その後、閉館後の展示室に移動して、少ない人数のなか、じっくりと拝見できました。
展示の中心は、かつて大御輪寺におられた国宝「十一面観音菩薩立像」、国宝「地蔵菩薩立像」、「日光菩薩立像・月光菩薩立像」の150年ぶりの再会です。
どの仏様も素通しで間近に拝見できますが、やはり、十一面観音様を、手が届くような近さ・全体像が見える適度な距離から拝見できたのが素晴らしかったです。