正岸寺・こけ地蔵ほか(兵庫県加古川市)
令和3年9月9日(木)、姫路市の東にある加古川市の史跡巡りをしました。JR加古川駅前からはレンタサイクルの利用です。
陰陽師として有名なのは朝廷に仕えた安倍晴明(あべのせいめい)ですが、その清明が《(この呪術を)清明がほかには、知たる者候はず。もし道摩法師や仕たるらん》(『宇治拾遺物語』)と評価したのが民間陰陽師の蘆屋道満(あしやどうまん)です。
その道満の生誕地と伝えられる場所が寶國山正岸寺(しょうがんじ)の近くにあり、境内には祠と記念碑が建てられています。
また、本堂向かって左には産湯の井戸と伝えられる井戸もあります。ただ、両方とも表示がないので事前に調べていないと分かりません。
藤原道長の呪詛に失敗した道満は、播磨へ追放されました。その魂は京の都に向かって飛んで行こうとしましたが、石棺仏にぶつかって行く手を阻まれました。その結果、石棺仏は倒れ(転(こ)け)かけたので、こけ仏とも伝えられています。
こけ仏は、家型石棺の蓋石に地蔵菩薩立像を彫ったものです。
正岸寺にも、組合せ式石棺の底石に阿弥陀如来坐像を彫った石棺仏がありました。
この地域には、近くで産出される良質な凝灰岩・竜山石を使った石棺が多いことから、その石材を使った石仏が多く残っているそうです。
こけ仏に向かう途中には、古代寺院の中西廃寺跡があります。
残っている塔心礎は、長径225cm・短径186cmと大きなものです。
また、近くの石井の清水の井枠には、中西廃寺の塔の相輪の露盤(ろばん)と刹(さつ)が転用されています。露盤は金属製のものが多く、石製は初めて見ました。
この他、玄室長5.1m・幅2.2m、羨道長9.1m・幅1.5mの両袖式横穴式石室を持つ円墳「升田山15号墳」、倭建命の産湯に使われたと伝承がある「石のタライ」、日本三奇の一つ「石の宝殿」なども見学しました。