徳島城跡(徳島市)
令和4年9月3日(土)と4日(日)の早朝、史跡「徳島城跡」を探訪しました。
文化財保存全国協議会(文全協)主催の見学会「淡路・徳島の文化遺産を巡る」で徳島城跡近くのホテルに泊まったので、出発までの時間を活用したのです。
徳島城は、豊臣秀吉の指示により蜂須賀家政が築いた城で、天正14(1586)年に主要部分が完成しました。
人工の水堀や自然河川により囲まれた内廓には、城山に築かれた「山城部分」と御殿が置かれた「平城部分」があります。
◎9月3日(金)
初日は、内堀や川に沿って外周を回ります。
人工の東内堀の南東には、月見櫓跡があります。
数寄屋橋を通って城内に入ります。
旗櫓の下には数寄屋門がありましたが、平城の鬼門(北東)に位置するので、凶事の時以外は開かれなかったそうです。
山城があった城山(61m)の東南麓には縄文~弥生時代の遺跡が残っています。
北に進めば助任川に出ます。川に沿って西に進みます。
城主の隠居所だった「西の丸御殿」跡には内町小学校が建っています。
さらに東の御花畠跡には市立体育館が建っています。
ここからは、旧寺島川(JR牟岐線)に沿って南東に戻ります。
城山南西麓の石垣は、天正14(1843)に隠居屋敷を造営した時に築かれたもので、打込接・布積で奇麗に積まれています。
さらに進めば「舌石(したいし)」があります。堀の上に突き出した屏風折塀の支柱を支えるためのもので、全国にも類例が少なく貴重なものです。
◎9月4日(日)
二日目は、表門の薬医門「鷲の門」を通って山城部分をめざします。
現在の門は、平成元(1989)年に復原されたものです。
大手門「黒門」の桝形を通って城内に入ります。
山城部分は、城山の尾根上に東西に郭を並べた連郭式です。
本丸の東端には、天正期と最も古い野面・乱積の石垣があります。
三層三階の天守が置かれていた「東二の丸」には、文禄~慶長期の石垣が残ります。
城山の最も高い場所(標高61m)に位置する本丸は、御座敷・武具櫓・馬具櫓などが置かれており広大です。
北側には、文禄~慶長期の石垣が残ります。
その東には、埋門「搦手門(裏門)」があり、御座敷から助任川に通じていました。
本丸の西には弓櫓があります。西の大手筋の最奥に位置しており、初期の天守が置かれていた可能性もあります。
さらに進めば「西二の丸」です。
「西三の丸」は上中下の三段に分かれており、中段には材木櫓がありました。
「西三の丸門」は、黒門を入って大手筋を進むと最初にある桝形で、文禄~慶長期の古い石垣が残ります。
二日間に分けて歩くことにより、徳島城跡の概要が理解できました。