宝満山(福岡県筑紫野市・太宰府市)
令和5年1月19日(木)、宝満山(ほうまんざん、福岡県筑紫野市・太宰府市、標高829m)に登りました。
大宰府の背後の四王寺山から北東に聳える姿を見て気になっていました。JR西日本「サイコロきっぷ」(5,000円)を買ったところ、1/9の確率の博多往復が当たり訪ねることができたのです。
宝満山は古代から信仰の山として知られ、山中には山岳信仰に伴う遺跡が残されています。こうしたことから、平成25(2013)年、国史跡に指定されました。
かつては「下宮」と呼ばれた山麓には玉依姫命(たまよりひめのみこと)を主祭神とする竈門(かまど)神社があり、参拝してから登り始めます。
往路は正面登山道を利用します。
7世紀後半から山頂や山中で祭祀が行われ、9世紀初頭には「竈門山寺」に最澄が来たとの記録があります。こうしたことから、「羊腸の道」と呼ばれる急なジグザク道ですが、石を積んで整備されています。
一の鳥居は、宝満山に残る数少ない江戸時代の建築物です。
さらに登れば、休堂跡です。近くには中世の山城「有智山城」の遺構もわずかに残っています。
厳しい石段が続く場所は「百段雁木」と呼ばれています。
途中には、儀式に用いる神聖な水を汲んだ「閼伽の井」があります。
少し登れば「中宮」です。かつては最澄作と伝承される十一面観音を祀る講堂などの建物がありましたが、明治初期の神仏分離で取り壊され、今は石碑「竈門山碑」が建つだけです。
ここで男道と女道に別れますが、左手の男道を進みます。
途中に、三石が鼎立した「竈門岩」があります。宝満山は竈門山とも呼ばれましたが、その由来となった岩です。
「袖すり岩」を過ぎれば、山頂はすぐです。
山頂の「上宮」には礼拝石がありますが、社殿はコンクリート造りです。
社殿の後ろにある巨岩から北を見下ろすと身がすくむ思いがします。
座主跡のキャンプセンターに向かいますが、鎖を頼りに大岩を下りるので細心の注意が必要です。
座主跡からは女道を進みますが、楽な道ではありません。
途中の建物跡では、筑紫野市教育委員会が文化財調査を実施していました。
中宮跡からの復路は、愛嶽山(おたけやま、439m)に向かいます。行者道と呼ばれるだけあり、急坂を下る厳しい道でした。
愛嶽神社の社地は、鉄の鳥居が倒れ石段も壊れるなど寂しい状態です。
ここからのんびりと山道を下り、出発地点の竈門神社に戻りました。
トレッキング気分で登った宝満山ですが、国史跡に指定されただけあり充実した歴史探訪ができました。