三木城(兵庫県三木市)

 令和4年12月24日(土)、三木城(兵庫県三木市)を探訪しました。


 三木城は、別所氏が15世紀後半、三木台地北端に築いた丘城です。16世紀後半、羽柴秀吉を主将とする織田信長軍による兵糧攻め「三木の干し殺し」で落城しました。
 その後、改修されて存続しましたが、17世紀前半の一国一城令により廃城となりました。


 今回の探訪のメインは、「二の丸跡発掘調査現地説明会」です。説明されるのは、昨年、『秀吉の播磨攻めと城郭』(戎光祥出版)を出された金松誠さんです。

 


 今回の調査は三木市役所上の丸庁舎の基礎部分を撤去することに伴うもので、『播州三木古城図』(江戸時代初期)に描かれているL字状の堀跡の存在を確認するのが目的です。


 T2地点からは堀の端の痕跡を、T3地点からは深さ2m・長さ10m以上の空堀跡が発見されました。T4地点から遺構は見つかりませんでしたが、これは堀がなかったことを確認するためのもので予想どおりの結果だそうです。

 

 

 これらの調査の結果、二の丸に入るには2回曲がる必要がある桝形虎口が形成されていることが判明しました。
 桝形虎口は戦国期にはなく、織豊系城郭の特徴の一つであることから、落城後に形成されたことがわかります。


 また、T2地点からは16世紀後半の軒丸瓦が出土したことから、この時期に空堀が埋められたと考えられます。


 このように、石垣でなく堀によって桝形虎口が形成されていることから、三木城は近世城郭への過渡期の状況を示していることが明らかになりました。

 三木城の南東には、城主の弟の居城「鷹尾山城」がありましたが、三木市の施設建設に伴って東部分が消滅しました。今は、西部分に堀切や主郭が残っています。

 


 さらに南には「宮ノ上要害」がありましたが、浄水場などの建設に伴って遺構は消滅しました。

 


 久しぶりに訪れた三木城ですが、じっくり探訪すると意外に奥深いことがわかりました。

2022年12月24日|城郭:その他|歴史:中世|兵庫県:播磨