近畿文化会「“もののけ”たちの夜行する京」(京都市)
令和4年2月6日(日)、近畿文化会「“もののけ”たちの夜行(やぎょう)する京(みやこ)(京都市)」に参加しました。講師は、前吉野歴史資料館長の池田淳先生です。
「もののけ」とは、「物の『怪』」ではなく、「物の『気』」のことです。異界に住むものなので人間の目には見えないのですが、時折姿を現すことがあります。京都にある縁の地を訪ねるのが講座の趣旨です。
平安時代、第76代・近衛天皇を悩ます怪異が起きました。警備を命じられた源頼正は、黒雲の中に「怪しき物」を見つけて矢を放ちました。矢は命中して、鵺(ぬえ、頭は猿・体は狸・尾は蛇・手足は虎)が落ちてきました。天皇を悩ませていた物の気の時は姿が見えませんでしたが、死んで初めて姿を現したのです。
最初に訪問する神明神社(京都市下京区)には、その鏃(やじり、矢の先端)が奉納されたと伝えられます。
鏃を洗ったとされる鏃池は、二条公園(上京区)にあります。
大江山の鬼退治で有名は源頼光は頼政の先祖で、一条戻橋の近くに屋敷がありました。
この近くには陰陽師・安倍晴明が住んでおり、屋敷跡は晴明神社となっています。
晴明の式神(しきがみ、陰陽師が使う鬼神)は十ニ神将ですが、その容貌を妻が恐れたので、一条戻橋の下に置きました。橋(=端)は現世と異界との境界なので、晴明には見えますが妻には見えないのです。
平安宮(大内裏)の朱雀門跡には石柱が建つだけです。
朱雀門も現世と異界との境界なので、門の上で紀長谷雄(きのはせお)と鬼が双六をした際、負けそうになった鬼は、化けていた人間の男から上半身が鬼の姿に戻りました。
平安宮の南東に隣接した神泉苑では、863(貞鑑5)年、記録に残る初めての御霊会(ごりょうえ)が開かれ、崇道天皇(早良親王)など五体の御霊が慰撫されました。
二条城の中には、大宮大路と二条大路が交差する「あわわの辻」があります。辻は現世と異界との出入口なので、百鬼夜行の物の気が出現しました。
多くの遺跡が残る奈良と違って石碑が建つだけの場所が多い京都ですが、それでも実際に歩いてみて当時の人びとが物の気たちの災厄に立ち向かっていたことが理解できました。