吉野ビジターズビューロー「西行歌碑巡り~西行が愛した吉野山へ~」(奈良県吉野町)

 令和4年7月10日(日)、吉野ビジターズビューロー「西行歌碑巡り~西行が愛した吉野山へ~」に参加しました。
 吉野山は「歌枕」(歌に詠まれた名所)として有名です。

(1)『万葉集』に詠まれた吉野山
 『万葉集』に詠まれた吉野は「川の吉野」が中心で、「吉野山」特有の詩的イメージは形成されておらず、《み吉野の 象山(きさやま)のまの》(巻6・924)など具体的な名称が使われています。

 

(2) 平安時代に詠まれた吉野山
 平安時代の『古今和歌集』などでは、雪の名所として詠まれています。
《春霞 たてるやいずこ み吉野の 吉野の山に 雪はふりつつ》

 

(3) 西行が詠んだ吉野山
 西行は平安時代後期~鎌倉時代前期の歌人で、『山家集』などに収められた2,200首のうち花の吉野山を詠んだ歌は50首以上もあります。
 歌枕「桜の吉野山」のイメージは、西行によって決定的なものとなりました


 かつて吉野山にあった西行の木柱歌碑は、全て朽ち果てていました。
 そこで、野町観光ボランティアガイドの会が、西行生誕九百年記念として、平成30(2018)年度、11基の木柱歌碑を再建しました。
 木柱は高さ2,250cm・幅15cm・奥行き10cmで、中央配置された高さ100cm・幅13cmのステンレス板に歌が彫り込まれています。


 このツアーでは、マイクロバスを利用して、全11基のうち6基の歌碑を巡りました。


①近鉄吉野駅前
吉野山 去年(こぞ)の枝折(しほり)の 道かへて まだ見ぬかたの 花を訪ねん(『聞書集』)
 「去年の枝折」とは、昨年枝を折ってつけた目印のことです。近鉄吉野駅前の広場にあります。

 

②幣掛神社周辺
花を見し 昔の心 あらためて 吉野の里に 住まんとぞ思ふ(『西行法師家集』)
 上句は“花を見た昔の心を新たにして”と言う意味です。幣掛(しでかけ)神社の近くにあります。

 

③吉野山観光駐車場
春暮れて 人散りぬめり 吉野山 花の別れを 思ふのみかは(『西行法師歌集』)
 暮春に花との別れを惜しんでいます。駐車場の出入口に近い場所にあるので、普段は前に自動車が停まっていて見ることができないそうです。

 

⑨金峯神社周辺
吉野山 奥をもわれぞ 知りぬべき 花ゆゑ深く 入りならひつつ(『聞集書』)
 吉野山に深く馴染んだ自負が表現されています。この吉野山は、広く大峰山系を意味していると思われます。歌にふさわしく、大峯奥駆道沿いに設置されています。


⑩西行庵前
春は猶(なほ) 吉野の奥へ入りにけり 散るめる花ぞ 根にぞ帰れる(『松屋本』)
 この場所に西行庵があったかどうかは別として、西行が京の都を離れて吉野山の奥に籠もったのは事実だと考えられています。 


⑪西行庵前
花の色の 雪の深山(みやま)に 通へばや 深き吉野の 奥へ入らるる(『聞書集』)
 花を求めて吉野の山の奥に入る数奇心を、悟りを求める心と重ねています。現在、奥千本の再生をめざして「22世紀 吉野桜を愛でる会」が活動を続けており、西行が見た光景が復活することでしょう。


 7月10日(日)に見たのは以上の6基ですが、7月7日(木)に金峯山寺「蓮華会」を拝見した際に、足を延ばして1基を見ました。


⑧上千本展望所
吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はず成(なり)にき(『山家集』)
 少し奥の花矢倉からは中・上千本の桜が一望に望めます。

 


 未見の4基についても、ぜひ探訪したいと思っています。


④宮坂駐車場
まがふ色に 花咲きぬれば 吉野山 春は晴れせぬ 峰の白雲(『山家集』)

⑤五郎兵衛茶屋跡
木(こ)の本(もと)に 旅寝をすれば 吉野山 花のふすまを 着する春風 (『山家集』)
 落花を衾(夜具)に見立ています。五郎兵衛茶屋跡は、中千本から東の如意輪寺に向かう途中にあります。

⑥如意輪寺陽明門前
吉野山 ほきぢ(崖道)伝ひに 尋ね入て 花見し春は ひと昔かも (『山家集』)

⑦桜展示園 仰徳碑
吉野山 うれしかりける 導(しる)べかな さらでは奥の 花を見ましや(『聞書集』)

2022年07月10日|歴史:中世|奈良県:吉野郡