長浜市観光協会「深坂古道と まわし工場見学」(滋賀県長浜市)

 令和3年5月26日(水)、滋賀県長浜市観光協会主催の北びわこエスコートツアー「深坂古道と まわし工場見学」に参加しました。

 

 

 集合場所のJR長浜駅から湖国バスに乗り、沓掛まで移動します。ここから歩き始める「深坂(ふかさか)古道」は、「塩津街道」の一部です。古来、福井県の敦賀で陸揚げされた物資は、琵琶湖畔まで陸路で、そこから船積みされて大津などへ運ばれました。この陸路の一つが塩津街道です。

 

 沓掛から深坂峠(標高370m)に向かって歩きます。この深坂越えは標高差250mの険しい峠道で、街道最大の難所でした。このため、織豊時代、東側に傾斜の緩い「新道越え」が拓かれ、衰退した深坂越えは「深坂古道」として残りました。

 途中にある「深坂問屋跡」には、往時を偲ばせる石垣が残っています。

 


 深坂峠の手前に「深坂地蔵」がおられます。平清盛の長男・重盛は敦賀と琵琶湖を結ぶ運河を作ろうとこの地を試掘しましたが、大きな岩に突き当たったために断念しました。そこで、この地蔵は「掘止め地蔵」とも呼ばれていました。ここから北に進んで深坂峠を越えればJR疋田に行きつけるので、ぜひ歩き通したいものです。

 

 昼食後、自由時間があったので「北淡海・丸子船の館」に寄りました。丸子船とは丸太を二つ割りにして胴の両端に付けた帆船で、琵琶湖特有のものです。展示されている本物の船に、本物の松右衛門帆が張られていたので驚きました。松右衛門帆とは江戸時代の実業家・工楽(くらく)松右衛門が発明した近代的帆布のことで、私が住む姫路市に隣接する高砂では旧邸が整備・公開されています。


 


 その後、今回の目玉である「おび弘(おびひろ) 山門(やまかど)工場」に向かいます。「おび弘」は京都西陣に本社を置く帯の製造会社で、1965年に工場を京都市から長浜市山門(やまかど)に移しました。適度な湿気がある気候が絹織物の製造に向いているそうです。
工場内には手織り用の織機が17台並んでおり、ベテランの女性職人が高級帯を織っておられます。

 

 奥にあるひときわ大きな織機が、大相撲の締め込み(まわし)を織る機械です。締め込みを作る会社は日本には三社しかなく、そのうち手織りで作るのは「おび弘」だけです。

 

 担当するのは、工場長と若い人の男性二人です。締め込みは、番付発表後に注文が入るので一か月で織り上げなければなりません。しかも、20分ごとに交替しないと体力が続かない重労働です。
 若い方は“重労働だが、相撲ファンなので遣り甲斐がある”と言っておられました。ただ、工場長さんは“五十年以上経つ織機がいつまで保つかだ”と言っておられました。いつまでも、古きよき伝統を伝えて欲しいものです。 


 最後は、琵琶湖の最北端に突き出た葛籠尾(つづらお)半島を南北に走る18.8kmの「奥びわこパークウェイ」です。展望台からは、東は小谷城跡や伊吹山、西には海津大崎や比良山系など琵琶湖の四分の一以上の景観が楽しめます。ここは、4月の海津大崎クルーズで琵琶湖から眺めたばかりで、こんなに早く来る機会があるとは思いませんでした。

 

 

 

 


 また、展望台には、「鉄穴(じんつぼ)」と言う墳丘があり、淳仁天皇の生母(当麻山背(たいまのやましろ)?)と皇后(粟田諸姉(あわたのもろあね))の墓と伝えられています。ちなみに、北西の菅浦(すがうら)集落には、淳仁天皇陵と伝えられる「船形型御陵」があります。

 


 念のために付け加えると、宮内庁が治定する「淳仁天皇陵 淡路陵」は兵庫県・南あわじ市にあります。


 「北びわこエスコートツアー」は、安い値段でディープな長浜市の魅力を紹介してくれるので、目が離せません。


2021年05月26日|古墳:その他|歴史:古代|トレッキング:トレッキング