法隆寺播磨国鵤荘(兵庫県太子町)

 令和3年6月23日(水)、兵庫県太子町にある「法隆寺播磨国鵤荘」関連の遺跡を訪ねました。
 一週間前の6月13日(水)に奈良国立博物館で行われた講演「法隆寺播磨国鵤荘における聖徳太子信仰」(講師は田村三千夫太子町文化推進課長)を聴講したので、実地での復習です。


 講演のポイントは、①『日本書紀』は聖徳太子が推古天皇から水田百町を賜って法隆寺に寄進した旨を記載、②斑鳩寺は聖徳太子創建でなく平安時代に法隆寺が鵤荘経営の中核存在として建立③鵤荘を武士から守るために法隆寺は太子信仰を利用して聖なる空間を演出、④太子信仰は牓示石(ぼうじいし)などの形で今に残る、の四点でした。
 今回の探訪は、④太子信仰の史跡を訪ねることです。

 

 「牓示石」とは荘園の境を示す石のことで、太子が檀特山(だんとくさん、165m)から投げたとの伝承があることから、「太子の投げ石」「太子のはじき石」とも呼ばれています。
 『鵤荘絵図』(鎌倉時代)には12個所の牓示石が描かれています。現在10個所に残っているとされていますが、絵図と同じ位置にあるのは1個所だけです。

 

 今回は、牓示石であるとして兵庫県史跡に指定されている4個所のうち3個所を訪ねました。荘園の境界を示す牓示石としてだけでなく、条里制(古代の土地管理システム)との関連でも重要なものだそうです。
 最初は、檀特山の北「東出」です。町立太田(おおだ)小学校の西北と分かりやすい場所にあります。

 

 次は、檀特山の西「東南」です。ここの牓示石は石堂に納められ、大切にされています。


 最後は、檀特山の北西・斑鳩寺の北にある「鵤北山根」です。田圃に中にあり、高いところから見下ろした後、移動して遠くから眺めました。


 太子町の南東・姫路市との境にある檀特山にも登りました。山頂には十畳程度の大きな岩があり、そこから四方を見渡すことができ、南には家島も見えます。

 


 山頂にある岩の窪みには太子の愛馬「黒駒蹄跡」との伝承があります。西には、徳道(とくどう)上人が奈良・長谷寺を開基したことなどに感動して転げ落ちたとされる「感動岩」があります。

 

 

 ここから西に進めば徳道上人の生誕地で、上人堂草庵跡(檀特山浄光寺)があります。

 

 

 ここから北に進めば、法隆寺の別院だった斑鳩寺(いかるがでら)です。往古は七堂伽藍を構え、数十の坊庵が並んでいましたが、1541(天文10)年の火災により灰燼に帰してしまいました。その後、講堂・三重塔・太子御堂・仁王門などが再建されました。1565(永禄8)年に再建された重文「三重塔」が唯一現存する再建後の建物です。

 


 最後は、稗田(ひえだ)神社です。当初の祭神は聖徳太子妃・膳大娘(かしわでのおおいらつめ)でしたが、今は古事記を誦習した稗田阿礼(ひえだのあれ)を祀っています。
 なお、この神社には「上宮稗田神社」の石柱が、斑鳩寺境内には「下宮稗田神社御旅所」の石柱が建っています。

 


 今日探訪したのは歴史的根拠のある遺跡ではありませんが、伝承遺跡の魅力を再認識した一日でした。

2021年06月23日|兵庫県:播磨