利神城ガイドツアー(兵庫県佐用町)
令和3年7月13日(火)、兵庫県佐用町「利神城ガイドツアー」に参加しました。
利神城(りかんじょう)は、1349(貞和5)年、赤松一族の別所敦範(あつのり)が築城しました。その後は別所一族の居城でしたが、1578(天正6)年、山中鹿之助に攻められて落城しました。
その後、姫路城主・池田輝政の甥である池田由之が城郭を大改修しましたが、壮大過ぎたために、輝政の命令で天守などが破却させられました。
城跡の利神山は標高373.3m・比高250mで、三層の天守は雲を衝くような威容だったことから、雲突城(くもつきじょう)とも呼ばれていました。
東西200m・南北500mと広大な城跡は、総石垣造りで、江戸時代初頭の山城の形態を良く残しています。
平成29年には国史跡に指定されましたが、登山道が荒廃しているため、登ることができません。ただ、令和3年からは、佐用山城ガイド協会が実施するガイドツアーに限って登山できるようになりました。4月に2回実施されたのですが、5~6月はコロナ禍で中止になったので、今回が第3回です。そのため、参加者7名にガイドの方が5名という贅沢な人員体制でした。
西山麓は御屋敷地区で、石垣が残っています。ここから三の丸に至るジグザグの登城道と、これに沿った竪堀がありました。
この登城道は荒廃しているので、南西から尾根沿いに登ります。
三の丸には石垣が残っています。
三の丸の上には天守丸、左奥には本丸が見えますが、急斜面で荒廃しているので登れません。
天守丸は不等辺五角形で、南西隅に三層天守が建っていたそうです。
谷を隔てて向かいには、二の丸や馬場が見えます。馬場の先には二つの大きな堀切が残っています。
三の丸から奥へは行けませんでしたが、佐用山城ガイド協会の皆さんのお陰で、利神城の壮大さ味わうことができました。ありがとうございました。
今後、整備が進んで全曲輪を見学できるようになることを期待しています。