東大寺「良辨忌」(奈良市)
令和3年12月16日(木)午後、東大寺を参拝しました。
この日(旧暦11月16日)は初代別当・良弁(ろうべん)僧正の御遠忌なので、「良弁僧正坐像」・「開山堂」(ともに平安時代)、法華堂(三月堂)の「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう、奈良時代)」が年に一回だけ特別開扉されるのです。併せて、鎌倉時代に東大寺を復興した「俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人坐像」(鎌倉時代)も特別開扉されます。
午前中は人が多いと思いる昼過ぎに行ったところ、最も人気のある執金剛神立像がおられる法華堂(三月堂)も、20分程度待っただけで拝見できました。
執金剛神立像は、金剛杵(こんごうしょ)を持って仏法を守護する神のことで、この神将から二体の金剛力士像が生まれたと言われています。
執金剛神立像は、不空羂索観音立像の背後にある厨子内に北面しておられます。
このため、礼堂から内陣の東側を進むので、普段は拝見できない 多聞天に踏みつけられている邪鬼の顔や梵天が履いておられる履なども見ることができます。
執金剛神立像は塑像ですが、東大寺ミュージアムには復元彩色の塑像・現状彩色の脱活乾漆像が展示されています。二体の模刻を並べて見ると、重厚な塑像の技法が選ばれたことが理解できます。
良弁僧正坐像は、八角造り厨子内に安置されています。側面からの光が少ないからか、平板な印象を受けます。また、遷化されたのは8世紀後半・像が造られたのは10~11世紀なので理想化されているのでしょうか、端正すぎるように感じました。
一方、重源上人坐像は、厨子の横から光が入って来ることもあり、立体的な印象を受けます。斜め横から拝見すると、頭を前に突き出した姿勢であることも確認できます。
入滅後すぐに弟子たちが像立したと伝えられており、目の前に重源上人がおられるようです。
口を堅く結んだ厳しい表情をしておられ、これを強い意思と解釈すれば弟子の快慶作、狷介さと解釈すれば確執のあった運慶作となるのでしょうか。
像から受ける印象は全く異なりますが、無著・世親立像(むちゃく・せしんりゅうぞう、興福寺)に通じる写実性があり、私には運慶作だと感じられました。
迫力ある国宝の秘仏を三体拝見して圧倒されたので、毘盧遮那仏様へのご挨拶は失礼させていただきました。