近畿文化会「高野山奥之院を歩く」(和歌山県高野町)
令和4年7月9日(土)、近畿文化会「高野山奥之院を歩く(和歌山県高野町)」に参加しました。講師は、石造物研究の第一人者である大阪大谷大学教授の狭川真一先生です。
奥之院の奥には弘法大師御廟があり、一の橋から2kmの参道には戦国武将の五輪塔などが並んでいます。
(1)一石五輪塔から大型五輪塔へ
今並んでいる大型五輪塔は近世に入ってから造営されたものです。なかには、織田信長供養塔のように、火輪の軒が反っており江戸時代に造られたことが明らかなものもあります。
中世末期は小さな一石五輪塔で埋め尽くされていましたが、これらは、大型五輪塔の造営に伴って木の根元などに集積されました。
(2)木造・石造霊屋(たまや)
重文「佐竹義重霊屋」は、木造切妻造の檜皮葺で、壁は長足五輪塔で構成されています。
一方、重文「松平秀康及び秀康母霊屋」は石造で、正面には鳥居が建っています。
(3)近世大名墓
①釘貫(瑞垣)、②正面に鳥居、③墓石は高野山の石工が造作が共通する特徴です。
崇源院(江姫)供養塔は高さ6.6mと巨大で、一番石と言われています。
一方、薩摩藩島津家の墓所は、鹿児島県指宿市産の山川石(凝灰岩)を使った三重石塔が中心と特徴的です。
(4) 戦国武将の墓
筒井順慶供養塔は、大和の花崗岩を使っており、台座の反花座(かえりはなざ)も大和独特のものです。
筒井順慶の墓所は地元の大和郡山市にもあり、本貫地(地元)と高野山の両方に建てる先駆的な事例です。
(5)町石(ちょういし)
高野山の参道には、1町(109m)ごとの道しるべとして、長足五輪塔と呼ばれる高さ2.5mの町石が並んでいます。
なかには、空輪・風輪と火輪が一つの花崗岩で造られたものもあります。】
頌徳殿の前にある五輪塔「仏果円満塔」も同じ構造で、火輪の先端を風輪下部に押し込んだように見えることから噛合式と呼ばれています。高野山に集中的に見られる彫成技法です。
(6)その他
親鸞聖人供養塔は、通常は四角錐の火輪が三角錐の形をしており、三角五輪塔と呼ばれています。
奈良市にある 東大寺の重源上人の伴墓三角五輪塔が同じ形をしています。
①奥之院が現在の姿になったのは近世以降、②時代により形が変化していることなど、五輪塔の奥深さを認識した一日でした。