英賀神社・飾磨津(姫路市)
令和3年9月15日(水)午後、姫路市南部の飾磨(しかま)史跡巡りをしました。
西から順に、(1)英賀城(あがじょう)跡、(2)文学碑、(3)飾磨津の三部構成です。
(1)英賀城跡
夢前川(ゆめさきがわ)と水尾川が合流する地点は海に近いことから、古くから港として利用されてきました。
室町時代中頃、播磨国守護だった赤松氏は、南の守りと瀬戸内海の水運の拠点として英賀城を築きました。
なお、英賀の地名は、阿賀比古・阿賀比売を祀った英賀神社に由来しています。
この地域は英賀本徳寺(後に移転して亀山本徳寺)の門前町として栄えましたが、豊臣秀吉の播磨攻めによって滅びました。
夢前川や水尾川を自然の堀として利用し、巨大な土塁で囲まれた居館でしたが、今は、土塁の一部や石碑があるだけです。山城と違って遺構が残らない平城は寂しいものです。
(2)文学碑
南東に進めば津田天満神社で、境内には山部赤人神社と賛歌碑(作者は荒木良雄)があります。
なお、飾磨の地名は、砂洲がある場所を示す「洲処(すか)」が転じたものとする説が有力です。
南東に進めば飾磨江で、御旅所には赤人の萬葉歌碑が建っています。
風吹けば 波か立たむと さもらひに 津太の細江に 浦隠り居り(萬葉集、巻6-945)
さらに東に進めば恵美酒天満神社で、境内の南には有本芳水詩碑が、近くには生誕地碑も建っていますが、竹久夢二と同世代で有名だった詩人も今では忘れられていて残念なことです。
境内には、玉乗り狛犬がいました。石工銘は「尾道 石工嶋居 勘十良(郎) 作」と刻まれており、“精巧かつ優美な造りの代表作”(『尾道の石造物と石工』(尾道市、2016年))だそうです。
(3)飾磨津
令和元年12月に放送されたNHK「ブラタモリ」で、姫路城とともに登場したのが飾磨津です。
今の姫路城大天守を建てた池田輝政は、水軍施設として飾磨に人工島・向島(むかいじま)を築き、海上からの敵にも完璧かつ絶対的な海上の城「安宅船(あたけぶね)」を浮かべました。石碑「舊姫路藩御舩役所之趾」も建てられています。
この地は、明治時代に生野銀山から銀を運ぶ日本で初めて築かれた高速産業道路「銀の馬車道」の発着点であり、「飾磨津物揚場跡」の記念碑が建っています。
雨の日が続く合間の縫って、地元の史跡を知るとともに、快適にウォーキングすることができました。