朝拝式(奈良県川上村)
令和5年2月4日(土)~5日(日)、(一社)かわかみ源流ツーリズム「後南朝の歴史を体感」(奈良県川上村)に参加しました。
後醍醐天皇の吉野出奔(しゅっぽん)で始まった南朝は「南北朝の合一(ごういつ)」まで約60年間続きましたが、南朝復興運動「後南朝」は約90年続きました。後南朝の歴史は川上村で受け継がれており、その象徴が朝拝式(御朝拝(おちょうはい))です。
朝拝式は長禄(ちょうろく)2(1458)年から絶えることなく毎年2月5日に執り行われており、今回で566回目になります。
◎事前講座(2月4日(土))
前日の2月4日(土)午後、源流ツーリズムの佐藤充事務局長による概要説明の後、朝拝式保存会の下西昭昌総代長・春増公文監事を加えて座談会が行われます。
(1)朝拝式は、赤松氏に殺害された一宮(自天王(じてんのう))の遺品である重文「兜・胴丸金具・大袖」を御神体として崇(あが)める式典。
(2)朝拝式の名称は、三之公(さんのこ)の八幡平行宮(あんぐう)で行われた新年の朝賀拝礼の儀式を模していることに由来。
(3)565年間欠かすことなく行っていることが誇り。
(4)中心になる出仕人(殿様と呼ばれていた。)は、かつては筋目(特定の家)に限定していたが、式典を継続するために拡大。将来的には女性への拡大も検討。
◎朝拝式(2月5日(日))
ホテル杉の湯を出発して、朝拝式が行われる金剛寺境内に向かいます。
本堂の奥には、自天親王神社と遺品である重文「兜・胴丸金具・大袖」を収める宝物殿が向かい合わせに建っています。
朝拝殿での支度を終えた出仕人が自天親王神社に向かいます。
裃(かみしも)を着けた人が出仕人で、黒い着物を着た人が総代・副総代です。
最初に、自天王を祀る自天親王神社で、修祓(しゅばつ)・祭文奉誦・玉串奉奠などの儀式が行われます。
次に、向かい側の宝物殿前に移動して、「御朝拝の儀」が行われます。
自天王の遺品である兜などを御神体として崇(あが)める式典です。
出仕人は榊葉(さかきば)を縦向きに咥(くわ)えますが、これは、不用意に自天王の居場所を口にして殺害されたことを戒める意味があります。
その後、「御陵参拝の儀」です。
宮内庁は弟・二宮「河野宮墓」と治定していますが、川上村の人々は自天王の墓と信じており、「南帝自天皇陵」と彫った石碑が建てられています。
念願の朝拝式に参列して、後南朝にかける川上村の人々の熱い思いを体感することができました。