貝吹山周辺の遺跡(奈良県高取町→明日香村→橿原市)
令和3年12月26日(日)、貝吹山(かいぶきやま)の遺跡(奈良県高取町→明日香村→橿原市)を探訪しました。
古墳時代、貝吹山は一大葬送の地であり、派生する尾根の丘陵上には約750基の古墳が築かれました。
近鉄壷阪山駅から西北に進めば、束明神(つかみょうじん)古墳があります。対角長40m・二段築成の八角形墳で、被葬者は草壁皇子(天武天皇・持統天皇の皇子)だと推定されています。
埋葬施設は二上山凝灰岩のブロックを積んだ横口式石槨で、橿考研の前庭に復元模型が展示されています。
【03 復元模型】
なお、南西には、宮内庁が草壁皇子陵に治定している「岡宮天皇 真弓丘陵」があります。
次は、六角形墳のマルコ山古墳です。高松塚古墳と似た横口式石槨を持ってきることから壁画の存在が期待されましたが、漆喰が塗られているだけでした。
史跡公園として整備されていますが、訪れる人も少ない悲運の古墳です。
牽牛子塚(けんごしづか)古墳は八角形墳で、埋葬施設は刳りぬき式横口式石槨で二つの墓室を持ちます。被葬者は、斉明天皇と間人皇女(はしひとのこうじょ、孝徳天皇の皇后)だと推定されています。
前には越塚御門古墳があり、被葬者は皇孫・大田皇女と推定されています。
令和4年春に向けて整備工事が進められており、遠くから眺めました。
真弓鑵子塚古墳の前を通り、与楽(ようらく)カンジョ古墳に向かいます。一辺32mの二段築成の方墳で、ここも整備工事中でした。ガラス越しにみる玄室は長さ5.8m・幅3.8m・高さ4.3mで、巨石を積んだ大きなものです。
最後に、与楽カンジョ古墳の横を北に進み、橿原市の最高峰・貝吹山(210.3m)の山頂にある貝吹山城跡をめざします。
貝吹山城は中世、大和国人の越智氏が築いた山城ですが、戦国時代、筒井順慶により破却されました。南北に連なる小さな曲輪群が往時を偲ばせます。
木々の間からの景観はすばらしく、西には金剛山なども望めました。
その後、本来の目的地である重伝建地区「今井町」に向かいましたが、この地は室町時代、越智氏の支配下にありました。