飯盛城跡(大阪府四条畷市→大東市)
令和4年10月12日(水)、飯盛城跡(大阪府四条畷市・大東市)を探訪しました。
飯盛城は、戦国時代末期、芥川山城(高槻市)から移った三好長慶が現在の形に大改修しました。
4月に芥川山城(大阪府高槻市)に登ったので、飯盛城にも登りたいと思っていました。
飯盛城は、金剛生駒国定公園の北に位置する飯盛山(標高314m)に築かれた山城で、東西400m・南北700mと日本有数の規模を誇り、令和3年10月には国史跡に指定されました。
城跡は、防御空間の北エリア(四条畷市)と生活空間の南エリア(大東市)に分かれており、北側の四条畷神社(祭神は楠木正成の子・正行(まさつら))の横から登ります。
急峻な坂を登り切れば、眺望270°スポットで、西南には「あべのハルカス」が見えます。
大きな堀切(尾根を切断した空堀)を過ぎれば、長慶が埋葬されたと伝えられる御体塚郭です。
御体塚郭の東には大きな石垣が残ります。本来の登城口だった東側には多くの石垣が残り、威容を見せつけるためのものだったと考えられています。
さらに進めば高櫓郭です。ここからの眺望は特に素晴らしく、西には明石海峡大橋、北西には万博記念公園「太陽の塔」が見えます。
高櫓郭の周囲は石垣で築かれており、東側には立派な石垣群が残ります。
高櫓郭を南に下れば、土橋が架けられた堀切があります。
さらに南に進めば、居住空間「千畳敷」で、土師皿などが出土したそうです。
その先は南丸で、石垣で構えられた虎口(こぐち、出入口)があります。
草が生い茂っており、畝状竪堀は確認できませんでした。
城跡を出てからは、七曲りコースを歩き、慈眼寺(野崎観音)を経てJR野崎駅に向かいます。
飯盛城の大きさに驚いた一日でした。