龍田古道「古代行幸路ノスタルジックルート」(大阪府柏原市・奈良県三郷町)
令和3年5月3日(祝)、龍田古道(奈良県三郷町(さんごうちょう)・大阪府柏原市(かしわらし))の一部を歩きました。
龍田古道とは、奈良県から大阪府へ流れる大和川に沿った山越えの道で、特に右手に龍田山・左手に大和川が迫る「亀の瀬」は地滑りが繰り返して起こる難所です。令和2年6月、「もう、滑らせない!! 龍田古道の心臓部『亀の瀬』を越えてゆけ」として日本遺産に認定され、ウォーキングマップが作られました。このマップをTさんから送っていただいたので、これまではJR大和路線の車窓から眺めて楽しんでいた風景を歩くことにしました。
JR高井田駅で下りて、国史跡「高井田横穴群」に行きます。生駒山地最南西端に位置する凝灰岩の崖面に掘られた墓穴群です。入ることはできませんが、中を覗くと高い完成度です。頂上には、横穴式石室を持つ円墳「高井田古墳」があります。
国豊橋を南に渡って東に進めば、全長130mの前方後円墳「松岳山(まつおかやま)古墳」です。組合式長持型石棺が露出しており、その南北には謎の立石があります。
七重塔跡が残る河内国分寺跡に寄った後、「夏目の渡し跡」にかかる吊り橋を渡りますが、そこそこ迫力があります。
亀の瀬には、地滑り歴史資料室や旧大阪鉄道亀瀬隧道などがあるのですが、残念ながらコロナ禍で閉まっていました。
江戸時代、大坂市中と河内・大和は大和川を利用した剣先船によって結ばれていたことから、亀の瀬の龍王社には剣先船仲間奉納の石燈籠が残っています。
なお、地名の由来となった亀岩は意外と小さかく感じました。
峠八幡神社を過ぎて少し進めば奈良県の三郷町です。日本四関の一つ「龍田の関」の近くに立つ関地蔵や、萬葉集に詠まれた「磐瀬の杜(いわせのもり)」(巻8・1419)を経て、官幣大社「龍田大社」に参拝します。主祭神は天御柱大神・国御柱大神の二柱で、風の神様です。
龍田大社の 境内には高橋虫麻呂の万葉歌碑(長歌、巻9・1751、揮毫は坂本信幸先生)があります。高橋虫麻呂の歌碑はJR三郷駅の西にもあります(巻9・1748、揮毫は犬養孝先生)。
その後、JR三郷駅から帰りの列車に乗ります。車窓から、歩いたばかりの道を眺める気分は格別でした。
今回歩いたのは「古代行幸路ノスタルジックルート」の一部でしたが、「龍田山の信仰体感ルート」も歩きたくなりました。