奈良国立博物館「達磨寺に息づく聖徳太子」
令和3年6月16日(水)午前、奈良国立博物館で行われた奈良県特別講演会「達磨寺に息づく聖徳太子」を受講しました。
講師は、奈良県王寺町文化資源活用係長の岡島永昌氏です。最近は、聖徳太子の愛犬「雪丸(ゆきまる)」を使って積極的に情報発信されています。
片岡山 達磨寺(だるまじ)は、王寺町片岡に位置する臨済宗南禅寺派のお寺で、本尊は聖徳太子像と達磨大師像です。
境内には、江戸時代に作られた雪丸の石像があります。雪丸は王寺町の「観光・広報大使」を務めており、JR王寺駅から達磨寺に向かう歩道「雪丸ロード」に足跡を付けて道案内をしています。
達磨寺には、次の片岡尸解(しかい)仙説話(片岡飢人伝説)があります。
① 613(推古21)年12月、聖徳太子が、道に伏せっていた飢人を見つけて食料や衣類を与えたが、亡くなってしまった。
② 手厚く葬ったが、後で確認すると遺体が消え、棺の上には衣類だけが残っていた。
③ この飢人が達磨大師の化身であり、墳(達磨寺3号墳)の上に達磨寺が作られた。
まず、この飢人伝説を題材として、達磨寺と聖徳太子に関して述べられます。
(1) 八世紀の『日本書紀』に書かれているのは①②で、達磨大師は登場しない。
(2) 十世紀の『聖徳太子伝暦』で、③達磨大師が初めて登場する。
飢人伝説と達磨大師が結び付いた理由は、(ア)『唐大和尚(鑑真)東征伝』で達磨大師が予言した慧思(えし)の生まれ変わりが聖徳太子、(イ)『景徳伝灯録』で没後の達磨大師が草履の片方しか持っていなかったので墳を調べるともう片方が残っていたと書かれていること。
(3) 中世の當麻古道(太子葬送の道)は達磨寺の東を走っており、『片岡山御廟記』によると十二世紀には達磨大師の墓と認識されていた。
(4) 『太子伝玉林抄』によると、十二世紀に勝月上人が 墳の上に塔を建てて聖徳太子と達磨大師の二像を祀った。
次に、雪丸について述べられます。
(1) 『達磨寺略記』では、雪丸に関して①聖徳太子の愛犬、②人間の言葉を話した、③達磨墳の丑寅(北東)に埋葬するよう遺言した、と書かれている(達磨寺1号墳)
(2)『太子伝撰集抄別要』で、聖徳太子の愛犬「白雪丸」は法隆寺の北東に葬られたと書かれており(今も大和郡山市金魚池に犬塚が残る。)、これを換骨奪胎して雪丸伝説が生まれた可能性がある。
(3) 江戸時代の 『大和名所図会』には雪丸像が描かれている。
達磨寺の飢人伝説や雪丸伝承に関して、豊富な史料や画像に基づき分かりやすく説明いただき、達磨寺に関する理解を深めることができました。