金剛峯寺(和歌山県高野町)

 令和3年6月21日(月)、JR西日本「夏の関西1デイパス」(3,600円)の「高野山チケット」を使い、高野山真言宗総本 山金剛峯寺(こんごうぶじ、和歌山県高野町)を参拝しました。


 主な目的は高野山霊宝館の開館100周年記念宝蔵展高野山の名宝」を見ることです。霊宝館には、国宝21件・重要文化財148件を始め5万件以上の文化財が収蔵されています。

 

 中でも最も拝見したかったのは、快慶作の重文「孔雀明王像」です。展示室に入ると、奥で光り輝いておられるのが目に飛び込んできます。孔雀明王は仏画が多いのですが、立体像としての効果が十二分に発揮されています。快慶の高度で緻密な技量が冴えわたっているからでしょう。

 

 この展示室は快慶が中心で、孔雀明王像の向かって左には「執金剛神(しゅこんごうじん)立像」と「深沙大将(じんじゃだいしょう)立像」が、向かって右には「四天王立像」がおられます。いずれも重文ですが、孔雀明王と違って豊かな量感のたくましい造形で、その対比が興味深いです。
 国宝ではないので、素のまま拝見できます。
 この展示室だけでも、霊宝館に来る意味があったと感じました。

 

 次の展示室は、運慶が中心です。
 重文「不動明王座像」の眷属(けんぞく、従者)「八大童子」のうちで、運慶が率いる慶派仏師による六体(矜羯羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の二童子+恵光・恵喜・烏倶婆誐・清浄比丘)が国宝です。六体全てが圧倒的な存在感も持っていますが、特に制多迦童子が印象に残りました。
 ただ、大きさに違いがあるだけでなく、ガラスケースに収められていることも影響しているのでしょうか、快慶の像と比べると、迫力に劣りました

 

 ほかにも、弘法大師ゆかりの三大秘宝、①24歳の時に書いた重文『聾瞽指帰(ろうこしいき)』(後に改訂して『三教指帰(さんごうしいき)』)、②唐から投げたと伝わる重文「金銅三鈷杵(さんこしょ)」(飛行(ひぎょう)三鈷杵)、③唐から請来したと伝わる国宝「諸尊仏龕(ぶつがん)」(木造)も展示されています。

 

 せっかく高野山まで来たので、霊宝館を拝見する前に、一の橋から奥之院参道を歩きました。両側に多くの五輪塔が並んでいます。
 徳川秀忠の妻・崇源院(すうげんいん、お江)の五輪塔が6.6mと一番大きいので一番石と呼ばれています。

 

 豊臣家の墓所も立派です。


 御廟橋を渡り燈籠堂や奥の大師御廟にお参りしました。御廟橋の先は霊域なので、写真撮影禁止です。

 

 霊宝館を拝観した後は、高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」に参拝します。
 正門は1593(永禄2)年の再建で、金剛峯寺では最古の建物です。

 

 その後、曼荼羅世界の中核をなす壇上伽藍に行きます。大日如来を本尊として四仏を安置する根本大塔(こんぽんだいとう)、高村高雲の再刻による絶対秘仏「薬師如来」などを安置する金堂、守護神を祀る御社(おんやしろ)などへ参拝しました。
 ただ、霊宝館と奥之院で力を使い果たしていたので、外から拝見するだけです。

 


 最後に、西の総門「大門(だいもん)」まで歩き、そこからバスに乗って帰途につきました。

 

 いろいろと高野山上を歩き回りましたが、やはり当初からの仏像などを収蔵している霊宝館が一番だと感じました。
 もし、これらの霊宝が東京国立博物館で効果的に展示されれば、さぞや大きな反響を呼ぶことでしょう。

2021年06月21日