近畿文化会「石清水八幡宮と八幡市の史跡」(京都府八幡市)
令和4年1月16日(日)、近畿文化会の臨地講座「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)と八幡市(やわたし)の史跡」(京都府八幡市)に参加しました。
石清水八幡宮は、徒然草の第52段「仁和寺にある法師」で有名ですが、参拝するのは初めてです。仁和寺の法師は一人だったので麓にある高良(こうら)神社などに参拝しただけですが、私たちは「先達」として考古学者の泉森 皎(いずもり こう)先生(80歳!)に案内いただき、無事に参拝することができました。
石清水八幡宮が鎮座する男山は、木津川・桂川・宇治川(淀川)が合流する場所に突き出した岩山で、山城国と河内国との国境となっています。
男山には石清水寺があり、平安時代、大安寺の僧・行教が宇佐八幡宮から八幡神を勧請するとともに、寺号を護国寺に改めました。江戸時代には40を超える僧房があったのですが、明治政府の神仏分離令により現在の姿になりました。
僧房の一つに、「松花堂弁当」の名の由来となった松花堂があり、建物は移築されています。
本殿の南西には、鎌倉時代初期、阿弥陀如来坐像をおさめる八角堂が建てられました。この建物は後に焼失したのですが、豊臣秀頼が再建しました。
この建物は正八角形ではなく、四角の四隅を切り取った「隅切り八角形」で、西車塚古墳の後円部に移築されました。
本尊の重文「阿弥陀如来坐像」は、正法寺(しょうぼうじ)の法雲殿に安置されています。公開日ではないのですが、ご住職の案内で特別に拝見しました。丈六の大きな仏様で、わずかに金箔が残っています。印相は、中品中生の転法輪印と珍しいものです。
快慶作とも推定されたのですが、修理の際に銘は見つかりませんでした。法雲殿の完成により京博から帰られたましたが、大きな扉を作ると経費が嵩むので、仏像を安置してから壁でふさいだとのことです。
お寺のご本尊は阿弥陀三尊で、脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は跪坐(きざ、大和坐)をしておられます。
この他、八幡市を本拠とした内氏(うちうじ)が始祖・味師内宿禰(うましうちすくね)を祀った式内社「内神社」にも参拝しました。ここが古代の五畿内の一つの山城国の北限です。
当初は今より南東500mの地にありましたが、天正年間に現在の地に遷座されました。本殿の西に旧社殿が残されています。
北西に離れた場所には、12月19日(日)に臨地講座で訪れた長岡京があり、桓武天皇が旧勢力から逃れるため、五畿外の地に新しい京を求めたことが理解できました。