姫路城
令和3年8月16日(月)午前、自宅から歩いて姫路城へ行きました。
雨のため数日、外出できなかったので、合間を縫っての外出です。
入城口から進んで菱の門を入れば、三国堀越しに大天守が見えます(天守閣は近代以降の俗称)。
多くの人は、ここから大天守をめざしてまっすぐ進みますが、左に進んで西の丸に行かないのはもったいないことです。
姫路城は、大天守があり天正・慶長期に池田輝政が築いた姫山(ひめやま)と、その後の元和期に本多忠正が開いた西の鷺山(さぎやま)に分かれています。
鷺山には西の丸があり、忠政の嫡男・忠刻と千姫が住む御殿がありました。ここからは大天守・西小天守・乾小天守が見えます。
西の丸から大天守に向かう坂道は、「暴れん坊将軍」のエンディングに使われたことから将軍坂とも言われています。
大天守の1階と2階はほぼ同じ形です。周囲を廊下が巡り、南半分は兵が寝泊まりする大広間、北半分は3室に区切られた武具庫となっています。
2階の武具庫の東の一室は公開されていますが、1階の武具庫は非公開でした。今回、東の一室が初公開されているので、それを見るのが目的の一つです。
3階では、東大柱と西大柱を見ることができます。東大柱はモミの一木材で築城当時のものですが、西大柱は昭和の大修理でヒノキの二本継に交換されました。
最上階の6階は書院風造りで、姫路長壁(おさかべ)大神と播磨富姫大神を祀る長壁神社があります。長壁大神は光仁天皇の皇子だった他戸(おさべ)親王・冨姫はその娘とする説もありますが、他戸親王は幽閉されている奈良県五條市で13歳で亡くなったので、荒唐無稽な話です。
ぬの門を通ります。この門は3階建てで、2階と3階の窓と壁には狭間(銃眼)があります。
千田嘉博先生は、『城郭考古学の冒険』(幻冬舎新書、2021年)で《最も絶体絶命感が高いお勧めスポット》と評価しておられます。
ぬの門の内部は令和3年2月に特別公開されました。
ぬの門の前面には大型石材である鏡石が積まれており、人の顔のように見えることから人面石と言われています。
門外の備前丸西側石垣は、傾斜角度が下方で65度・上方で74度と変化しており、扇子のカーブに似ていることから扇子の勾配と言われています。
姫路城の奥深さを再認識した一日でした。