王寺町観光協会「東大寺の原像ー山寺と大仏の統合ー」(奈良市)
令和4年3月8日(火)、王寺町観光協会「東大寺の原像ー山寺と大仏の統合ー」に参加しました。3回シリーズ「山の考古学」の最終回です。
講師は森下惠介先生で、午前中に春日大社境内などの見学・雪丸弁当の昼食後に講義、その後に東大寺境内の見学と言う構成でした。
(1)春日大社
ア 飛火野(とぶひの)には数基の円墳があり(春日野古墳群)、遣唐使派遣に際しての祭祀はその上で実施。
イ 春日大社が鎮座する前、飛火野は氷室神社の旧社地で氷室もあった。
ウ 春日大社の摂社「水谷(みずや)神社」の社殿下には磐座が残存。
(2)聖武天皇の理想と挫折
ア 天平パンデミック(737(天平9)年)で藤原四兄弟が死亡して藤原政権が崩壊。
イ 聖武天皇が東国(京都・滋賀)へ行幸したのは天武天皇にならったもの。
ウ 740(天平12)年の恭仁宮(くにのみや、京都府木津川市)造営は、①山中の清浄な場所に加えて、②木津川→淀川の水運利用を想定。
エ 聖俗の合一された山中の聖地「紫香楽宮」(しがらきのみや、宮町遺跡)で仏教による統治と中央集権化をめざすが挫折して745(天平17)年に平城還都。
(3)大仏以前 東山山中の寺
ア 「上院地区」に「山寺」が存在。
イ 金鍾(こんしゅ)山房+福壽寺 → 金鍾寺 → 金光明寺 → 東大寺
ウ 上院地区「丸山西遺跡」からは平城宮Ⅱ期(721~745年)の軒丸瓦が出土。
(3)東大寺
ア 法華堂「正堂」には恭仁宮式文字瓦(740~743年)を使用しており、創建は747~749年。
イ 八角二重基壇の材木の伐採年は年輪年代法で729年と判明。→ 当初の本尊は、不空絹索観音ではなく、梵天・帝釈天(伝日光・月光菩薩)と四天王(戒壇院)か。
ウ 二月堂で行われる修二会は、火と水の行法。
エ 修二会で読まれる神名帳の冒頭は「金峯大菩薩」(役行者が感得した金剛蔵王大権現)で、役行者に付き従う前鬼の斧は火を・後鬼の水瓶は水を活かせる力を表現。
(4)東大寺・興福寺と修験
ア 春日山で行うのが「当行」・大峯に入峯して行うのが「大行」。
イ 16世紀以降、南都大寺の堂衆は入峯せず。
ウ 春日山の岩に彫られているのは地蔵菩薩でなく、蔵王権現の本地仏である弥勒菩薩。
エ 都の寺は王権擁護の役割で、山の寺は修行の場。
オ 聖武天皇は、山中浄処である紫香楽に聖俗両界合一の都を作ろうとしたが断念。
カ 現実と妥協して、山中浄域を包括統合した東大寺を建立。
キ 御蓋山は神祇的部門で、春日山(御蓋山+花山+芳山)は山岳仏教の場。