京都大学阿武山地震観測所・阿武山古墳(大阪府高槻市)
令和3年4月10日(土)、京都大学・阿武山観測所の一般見学会に参加しました。この観測所は1930(昭和5)年、「阿武山地震観測所」として高槻市北方の阿武山(あぶやま、218m)の山頂から南の延びる尾根の上に創設されました。土曜日と日曜日に事前予約制で見学会が行われていることを知り、申し込んだのです。
【案内リーフレット】
JR摂津富田駅前から15分ほど路線バスに乗り、停留所から30分ほど歩けば観測所です。観測所としての役割は終えており解体の話もあったのですが、大阪府の「注目すべき近代化遺産」であることから保存されることとなり、2014(平成26)年に耐震工事・施設改修を行ったうえでサイエンスミュージアムに生まれ変わりました。
【観測所の建物】
一般見学会の運営は、全てボランティアの方により行われています。
最初に「地震学の歩み講座」で地震に関する基礎的な知識を学びます。かつての大阪平野は全てが平地でしたが、地震により100万年かけて1,000mの段差が生じました(1,000年に1m、六甲山は932m)。現在の平地は川の土砂などが集積した結果だそうです。
次に地下の歴代地震計展示室に移動します。1898(明治31)年の大森式、1934(昭和9)年の佐々木式など貴重な地震計が並んでいます。
【大森式地震計】
【佐々木式地震計】
その後、屋上に上がります。すばらしい眺望で、南には生駒山や葛城山、金剛山、西には六甲山や淡路島が見えます。
【生駒山、葛城山、金剛山】
【六甲山・淡路島】
建物の説明はありませんが、吹き抜けになった塔や階段、タイルを貼った玄関の丸柱など趣があります。
【塔】
【玄関】
最後は、ミニプログラムです。テーマは建物、古墳、植物などその日によって違いますが、今日のテーマは阿武山古墳でした。
この古墳は、1934(昭和9)年4月、観測所の北に位置しており、地震観測用のトンネルを掘削している際に発見されました。横口式石槨の中央には、黒漆塗りの夾紵棺(きょうちょかん、何枚もの布を漆で塗り固めて作られた棺)が安置され、棺の中には遺骸や大量の金糸などがあったそうです。
しかし、発見した理学部の志田順教授と考古学教室の濱田耕作教授との間で調整がつかず、9月には夾紵棺や遺骸などは白木の外箱に入れられ、埋め戻されてしまいました。
ただ、志田教授は秘密裏にエックス線写真を撮影しており、それが1982(昭和57)年に発見されたことから、京都大学考古学研究室は阿武山古墳エックス線写真研究会を発足させて研究を続けた結果、(1)大織冠と推定される冠帽の存在、(2)被葬者は40~60歳で身長164.6cm、(3)高所からの転落が死因であることなどが判明しました。
こうしたことから、藤原鎌足の墓である可能性が高いとされています。
【石槨内の夾紵棺】
【夾紵棺の内部】
阿武山古墳は盛り土を持たず、尾根の先端部に溝をめぐらせて直径82mの範囲が墓域として区切られており、墓室がある中心部はウバメガシで囲まれています。
【現在の阿武山古墳】
今回の一般見学会では、地震の勉強をするだけでなく、レトロな建物の内部を見学し、さらに阿武山古墳に関する知識を深めることができました。