見聞悠学之旅「倉橋みどりさんと行く 万葉集に詠まれた吉野」(奈良県吉野町)

 令和3年7月3日(土)、吉野ビジターズビューロー主催の見聞悠学之旅「倉橋みどりさんと歩く 万葉歌に詠まれた吉野」に参加しました。
 吉野町の象山(きさやま)と三船山の間には喜佐谷(きさだに)があります。万葉学者の犬養孝先生が愛された道の一つです。

 

 吉野離宮へは、持統天皇の31回をはじめ六人の天皇が行幸しており、随行した大宮人も喜佐谷を通って吉野山に登っていました。
 今回のツアーは、俳人の倉橋さんの案内で喜佐谷を歩きながら、万葉歌に詠まれた吉野を感じようとするものです。

 

 最初に、近鉄吉野駅前にある犬養先生揮毫の歌碑「淑き人の よしとよく見て」(天武天皇、巻1・27)を見ます。吉野山の玄関口にふさわしい立派な歌碑ですが、簡単な案内板しかなく気づく人が少ないのが残念です。

 

 予定では、ここからタクシーで如意輪寺まで移動して喜佐谷を下るはずでしたが、昨夜の大雨で道が荒れているので、高滝への登り口まで移動しました。この予定変更の判断は素晴らしかったです。


 喜佐谷への登り口には、上野誠先生揮毫の歌碑「皆人の 恋ふるみ吉野」(巻7・1131)が建っています。

 

 幸い、ここから高滝に向かう山道は荒れていませんでした。しかし、下から聞こえてくるのは小川のせせらぎ音ではなく轟音です。

 

 大伴旅人は「昔見し 象の小川を」(巻3・316)と詠んでおり、途中にある「高滝」を本居宣長は『菅笠日記(すががさのにき)』で《いとおもしろし》と褒めています。
 高滝を見るのは四回目ですが、こんなに水量が多いのは初めてで、まさに瀑布だと体感しました。

 

 


 昼食場所のゲストハウス「きさのせせらぎ」の前には、上野先生揮毫の歌碑「皆人の 恋ふるみ吉野」(巻7・1131)が建っています。しかし、詠まれているのは「滝の常盤(急流の大岩)」なので、ここでなく宮滝周辺にあるべき歌碑です。

 

 昼食は「中谷」の仕出し弁当で、いつものように丁寧に作ってあり旨いです。

 

 昼食後には、犬養先生が宮滝で講演されているビデオを拝見します。
 1994年頃の撮影で、吉野駅前の歌碑が建立されたのが1993年ですから、車椅子にも関わらず、毎年来られていたのでしょうか。
 ここから歩いて櫻木神社に向かいます。前を流れる象の小川も、これまでに見たことのない激流です。

 

 境内には、歌碑「み吉野の 象山の際の」(山部赤人、巻6・924)が建っています。

 

 さらに下れば、民家前に板碑「瀧の上の 三船の山に」(弓削皇子(天武天皇の第9皇子)、巻3・242)があります。

 

 象の小川が吉野川と合流する地点が「夢のわだ」です。大伴旅人が大宰帥だった時に奈良の都を偲んで詠んだ歌「我が行きは 久にはあらじ」(巻3・335)に登場します。

 

 

 中荘小学校跡には長歌の歌碑「やすみしし わご大君の」(柿本人麻呂、巻1・36)があります。この長歌には反歌「見れど飽かぬ 吉野の川の」(巻1・37)があり、向かいの河川交流センターには上野先生揮毫の歌碑があります。

 

 

 当初の予定ではここで終わりでしたが、追加で吉野歴史資料館に行きました。これも好判断です。
 上野先生揮毫の歌碑「よき人の よしとよく見て」(天武天皇、巻1・27)だけでなく、三船山・象山や青根ヶ峰などを見ることができました。

 

 天気予報では雨でしたが、雨に降られることもなく、的確な状況判断で、充実した喜佐谷ウォークを楽しめました。
 特に、倉橋さんの、柔らかでわかりやすい語り口で、萬葉集の魅力を再認識しました。もう一度、キッチリと勉強し直そうと思います。

2021年07月03日|歴史:古代|奈良県:吉野郡