お坊さんの案内で巡る西大寺のみ仏たち(奈良市)

 令和3年6月13日(日)午後、真言律宗大本山 西大寺(奈良市)に行き、「お坊さんの案内で巡る西大寺のみ仏たち」に参加しました。案内いただくのは、午前中に拝観した般若寺の住職・工藤良任師です。


 西大寺は、奈良時代後半、称徳天皇(孝謙天皇が重祚)の勅願により創建されました。父の聖武天皇が東大寺を創建したことに対応するものです。
 南都七大寺の一つとして48haの敷地の中に、二つの金堂・東西両塔など壮麗な大伽藍を構えていました。
 平安遷都に伴って荒廃しましたが、鎌倉時代、興正菩薩叡尊上人が真言律宗の根本道場として再興しました。1haの寺域には、本堂・愛染堂・四王堂などの堂舎が立ち並びますが、いずれも江戸時代中期以降の再興です。

 
 最初に、本堂で真言称名などを唱えます。
 その後、工藤師から、(1)西大寺の概要、(2)本堂におられる本尊の重文「釈迦如来立像」(叡尊一門の釈迦信仰の根本像)・東脇壇におられる丈六「弥勒菩薩像」・西脇壇におられる重文「文殊菩薩騎獅像ならびに四侍者像」(獅子に乗る文殊菩薩を中心に、左前に善財童子、右前に獅子の手綱を執る優塡王(うてんのう)、左後に仏陀波利(ぶっだばり)三蔵、右後に最勝老人を従える、いわゆる中国の五台山の文殊信仰に基づく文殊五尊像)の説明があります。

 


 

 

 これらの仏様に参拝した後、参拝特典として、普段は立ち入り禁止の東塔跡の基壇に登ります。
 かつて、西大寺には東西に四角五重塔がありました。1956(昭和31)年の発掘調査で八角形に掘込地業が施されていることが判明して、当初は八角七重塔が計画されていたことがわかりました。現在は、基壇の周りを板石で囲んで八角形を示しています。


 基壇上には17の礎石全てが残されています。心礎は大きな石で、内陣を囲む礎石には出枘(でほぞ)が加工されています。
 工藤師によると、心礎の下は発掘調査をしておらず、国宝級の遺物が残されている可能性もあるそうです。

 


 東塔跡を見学した後は自由拝観です。
 愛染堂には、本尊の重文「愛染明王坐像」がおられますが、秘仏なので今の時期は模造の御前立ちです。
 西の間には国宝「興正菩薩寿像」がおられるのですが、係の人に尋ねると、気づいて参拝する人は少ないとのことです。もったいないことです。

 

 

 

 愛染堂の裏の蓮園にはほとんど花が咲いていませんが、ここが西塔跡です。

 
 四王堂には、客仏本尊の重文「十一面観音立像」と重文「四天王像ならびに邪鬼」がおられます。
 称徳天皇により金堂製四天王像が造立されましたが、たびたびの罹災で損傷しており、現在の像は室町時代の補作です。ただ、踏みつけられている邪鬼は、ほぼ創建時のままなので、須弥壇から見えるようになっています。
 このように踏みつけられていた邪鬼だけが残っている状況は皮肉で、會津八一は《まがつみは いまのうつつに ありこせど ふみしほとけの ゆくへしらずも》と詠んでいます。ぜひ、西大寺に奈良県で第22番目となる八一の歌碑を建立して欲しいものです。

 

 

 

2021年06月13日|奈良県:奈良市