近畿文化会「萬福寺の文化財」(京都府宇治市)

 令和5年2月26日(日)、近畿文化会「萬福寺の文化財」(京都府宇治市)に参加しました。講師は龍谷大学教授の神田雅章先生です。
 黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は、江戸時代初期に、中国福建省から渡来した隠元禅師が創建しました。このため、伽藍配置や建造物は中国風です。境内は広々としており、奈良の寺院にいるようなおおらかさを感じます。


 最初に「総門」を潜ります。中央を一段高くした牌楼(ぱいろう)式の門で、中国風寺院に参拝する気分が高まります。


 さらに進むと、二階建ての「三門」です。三間三戸と大きく、左右に裳階と山廊を備えています。


 三門を進めば、黄檗宗寺院にのみ見られる天王殿」で、玄関の役割を果たしています。


 内陣正面には、弥勒菩薩の化身とされる布袋坐像」が祀られています。
 この像の作者は、中国福建省から来日した笵道生(はんどうせい)です。隠元の信任が厚く、黄檗様の仏像を数多く残しています。


 布袋坐像の背面には、護法善神の「韋駄天立像」が祀られています。この配置は、清代に定着しました。


 笵道生作の韋駄天立像は、合掌した両腕の上に宝剣を横たえており、天王殿の像は日本の仏師が加わった工房で作られた可能性が高いそうです。


 さらに奥には、本堂「大雄寶殿」があります。


 ご本尊は「釈迦如来坐像」、両脇侍は「迦葉尊者立像」「阿難尊者立像」です。
 釈迦如来坐像の作者は京都の大仏師兵部ですが、中国の様式を良く吸収消化しているそうです。

 

 昼食は、中国風精進料理「普茶弁当」です。

 

 境内を案内いただくのは教学部長の吉野心源師で、通常は拝観できない場所も拝見します。
 「禅堂」の中央には「白衣観音坐像」「善財童子立像」「八歳龍女立像」が祀られており、いずれも笵道生作です。
 白衣観音坐像は乾漆作りですが、X線CT調査で内部に構造材が組み入れられていないことが判明したそうです。

 

 禅堂の隣にある「祖師堂」には、笵道生作の「達磨大師坐像」が祀られています。達磨大師坐像と言えば、奈良県王寺町の達磨寺のようにずんぐりとした体形で目を見開く姿が一般的ですが、この像は丈高な体形で目は半眼と対照的です。


 僧が食事をする「斎堂」には、笵道生作の「緊那羅王(きんならおう)菩薩立像」が祀られています。左手を振って左足を踏み出す姿は躍動的です。


 「斎堂」の隣にある「伽藍堂」には、笵道生作の「華光(かこう)菩薩倚像」が祀られています。寺院を守る伽藍神です。


 萬福寺の拝観を終えてから、近くの宝蔵院に移動します。

 
 宝蔵院は、仏典の集成「漢訳一切経」の開版を志した鉄眼(てつがん)禅師が、隠元から寺地を授かり建立した蔵板・印刷所です。
 重文「鉄眼版一切経版木」(48,275枚)を見学します。令和4年の年末まで、重文の版木を使って経典を刷っていたそうです。この版木は、明朝体と原稿用紙のルーツとなっています。

 

 版木の材料は、吉野山に生えていた山桜だそうです。


 収蔵庫には、小さな「韋駄天立像」が祀られており、兜に銅製のコイルを用いて宝珠と鳥を付けているのが特徴的です。


 本堂には、「鉄眼禅師倚像」が祀られています。
 鼻が大きく穏かな表情には、親しみを感じます。


 江戸時代の仏像については侮っていましたが、中国人仏師・笵道生の強い影響を受けて特徴のある仏像が作られていることを知り認識を改めました

2023年02月26日|建造物:寺院|歴史:近世・近代|仏像:乾漆像, 木彫像