KANSAIウオーク2021「奈良(斑鳩町)」
令和3年10月4日(月)、「KANSAIウオーク2021」の「奈良(斑鳩町)」を歩きました。
今年は聖徳太子1400年御遠忌記念に当たるので、関連した三つのアプリ・コース(①大阪(大阪市内エリア)、②奈良(斑鳩町エリア)、③京都(嵐山・太秦エリア))が設定されています。
10月2日(土)に①大阪を歩いたので、今度は②奈良に挑戦です。
「葛城修験」の幟を持った太子の愛犬・雪丸に励まされて、JR王寺町駅を出発します。
北東に向かって自動車道を歩き、龍田大橋を渡れば龍田の街並みです。
龍田神社は三郷町にある龍田大社の分霊で、法隆寺を強風から守る太子ゆかりの神社と言われています。
藤ノ木古墳は直径48mの大型円墳で、ガラス越しに石室内の石棺が見えます。
静かな西里地区を抜けて、西門から法隆寺に入ります。
時間の関係で、會津八一の歌碑を二基(西院伽藍南東「ちとせあまり」、東院伽藍北「あめつちに」)を拝見しただけで失礼します。
斑鳩神社は旧法隆寺村の守り神で、祭神は菅原道真です。
松尾寺への参詣道を進めば、田圃の中に仏塚古墳があります。一辺23mの方墳で数年前には横穴式石室に入りましたが、今は入れません。
ここから法輪寺に向かいますが、途中に中宮寺宮墓地(ちゅうぐうじのみやぼち)」があることを初めて知りました。歴代皇女・女王の六基の墓と後西(ごさい)天皇(17世紀)の供養塔があります。
法輪寺では、會津八一が本尊の十一面観音を詠んだ歌碑「くわんおんの」を拝見します。1975年に再建された三重塔は、半世紀近くを経て馴染んでいます。
富郷陵墓参考地(伝山背大兄墓所)の前を通って法起寺に向かいます。
法起寺の三重塔は法隆寺・五重塔と似た建築様式で国宝です。秋桜が咲いていました。
中宮寺跡史跡公園では、塔と金堂の基壇が復元されています。
聖徳太子の愛馬・黒駒を葬ったと伝えられる駒塚古墳は前方後円墳、太子の舎人・調子丸を葬ったと伝えられる調子丸古墳は直径14mの円墳ですから、馬と人が逆転しています。
上宮遺跡公園は称徳天皇が行幸の際に宿泊した飽波(あくなみ)宮跡で、八一の歌碑「いかるがの」があります。
9月26日(日)に参拝したばかりですが、コースに含まれているので安堵町の飽波(あくなみ)神社まで足を延ばします。太子が亡くなった飽波宮跡との伝承があります。
ここから終着のJR法隆寺駅までは、少しコースを外れて、天理軽便鉄道廃線跡を歩きます。天理軽便鉄道は、かつて斑鳩町と天理市を結んでいましたが、大正末期に廃止となり、一部は近鉄天理線となっています。
炎天下を14km歩いたので、さすがに疲れました。