王寺町観光協会「古代の山岳修験と寺院『古代の山寺を訪ねる』」(奈良県高取町→明日香村)
令和4年2月1日(火)、王寺町観光協会「古代の山岳修験と寺院『古代の山寺を訪ねる』」に参加しました。
講師の森下惠介先生は、古墳研究のエキスパートなだけでなく、山岳修験者でもあります。
さらに、チューターとして王寺町学芸員(係長)の岡島永昌さんが同行されると言う豪華な布陣です。
南法華寺(壷阪寺)の大講堂で、講演「古代の山岳修験と寺院」を聞きます。
講演の概要は次のとおりです。
(1)古来、山は神仏がいる場所で俗人は入らなかったが、7~8世紀、神仏から力を分けてもらうために山に人が入るようになった。分けてもらった力の一つは薬の知識(看病禅師)。
(2)都城に営まれた「平地寺院」と、山地に立地する「山岳寺院」は対で存在。
(3)比曾寺(大淀町)は山麓に立地するが、吉野地方唯一の古代山岳寺院で、奈良時代には大安寺・元興寺など官寺僧の山林修行地。七世紀の軒丸瓦が出土。
(4)義淵創建と伝える「五ケ龍寺」のうち、龍蓋寺=岡寺(明日香村)、龍門寺=龍門寺跡(吉野町)、龍峯寺=加守寺跡(葛城市、龍峯=ニ上山)。龍門寺の龍門滝は水源祭祀と関係があり、龍門大宮は吉野山口神社か。
(5)中世には、山居参籠行から回峯行(奥駈)となり、修験道が確立。「修」行により「験」力を得る。
(6) 大きな岩を神の依代とする磐座信仰は、磨崖仏信仰(笠置寺、大野寺)につながる。
壷阪寺を拝観しますが、講座の趣旨からすると、メインは、本堂ではなく「五百羅漢」と名付けられた奥之院です。大きな岩に仏像が彫られています。まさに、磐座信仰を表現するもので、森下先生に“壷阪寺でなく比曾寺の奥之院ではありませんか”と尋ねると、“その可能性が高い”とのことでした。
大観音石像の前からは西に眺望が開け、二上山の北には王寺町が見えました。
この後、比曾寺(現・世尊寺)に向かう予定でしたが、コロナ禍で拝観できないので、北の岡寺(明日香村)に向かいます。
バスで近くまで行きましたが、明日香村の中心からだと東に登る山岳寺院です。
小さいながら、奥之院の石窟もあります。
舌状の尾根の先端部には治田(はるた)神社が鎮座していますが、瓦が出土したことなどから、ここが旧伽藍の中心だったと考えられています。
森下先生には、著書に立派な揮毫と落款をいただくだけでなく、高市大寺跡=木之本廃寺説の妥当性等に関しても意見をお聞きすることができました。