奈良博公開講座「不退の行法、東大寺修二会(お水取り)」

 令和4年2月19日(土)、奈良博公開講座「不退の行法、東大寺修二会(お水取り)」を受講しました。 講師は東大寺の北河原公敬長老です。長老は隠居の身のはずだが元気だと働かされると言われながらも、28回の参籠経験を踏まえてわかりやすく語られました。

(1)起源
 修二会は、大仏開眼と同じ752(天平聖宝4)年に実忠が始めた。
(2)目的
 十一面観音悔過(けか)法要と言われるように、目的は、①悔過(けか)②人々の幸せの祈念
 このように東大寺だけの行事ではないので、どんなことがあっても続ける「不退の行法」
 ①平安時代の平重衡による焼き討ち、②戦国時代の松永久秀の乱、③第二次世界大戦による召集と三度の危機があったが乗り越えた。
(3)参籠衆
 練行衆11人に男衆29人を加えた40人
 40人が抜けた状態で日常の法要等を行うのは大変。
 練行衆は、良弁忌の12月16日に別当が任命
 悔悟と国家安泰の祈りには名誉と重い責任
 普段は使わない法螺貝を吹いたりするので、はじめての参籠は大変。任命されると法螺貝の練習をするのでかつては「師走貝」と言われていた。

(4)前行「別火」
 戒壇堂の別火坊に移り、日常生活とは別の「清浄な火」を使用。
ア 試別火(ころべっか)
 自坊に戻るなど外出は可能だが、別の火で沸かしたお茶は飲めない。火鉢にも当たれない。
イ 惣別火(そうべっか)
 「声明(しょうみょう)」の稽古
(ア)輪唱のようなもので、修二会以外では行わない
(イ)人により声の高低差があるが、不協和音を嫌うので、一定の高さの音になるよう厳しく指導
(ウ)一つの大広間に全員が入るが、話をするのは廊下。

(5)本行
ア 参籠宿所入り
(ア)2月末日夕刻に参籠宿所入り。
(イ)4人・3人・2人・2人に分かれて四部屋。部屋頭は四職(ししき、和上・大導師・呪師・堂司)
イ 食事
 三度の食事が昼一回になるので夕方には空腹。法螺貝を吹く時に力が出ないが、二三日するとなれる。
ウ 六時の行法
(ア)一日を六分割して、その時刻ごとに勤行。
(イ)中心となる声明の時導師(じどうし、ソロ部分)は四職でなく平衆。ただし、実忠忌(3月5日)など重要な日には上の人が時導師。
(ウ)下七日には引上(ひきあげ)として声明のテンポが速くなる
(エ)日が経つにつれて感覚が研ぎ澄まされ、局で聴聞している女性の香水の匂いが漂ってくることもある。

(6)役割
ア 呪師(しゅし)
(ア)神道と仏教が融合した密教的・神道的役割
(イ)2月末日には中臣大祓(なかとみのおおはらえ)。
(ウ)儀式の中心
イ 大導師(だいどうし)
(ア)勤行の主役
(イ)祈りの趣旨を述べる。基本部分は決まっているが、コロナ禍など時事的な部分は自分で作成。

(7)勤行
ア 二月堂神名帳(じんみょうちょう)
(ア)毎日、初夜の悔過作法の後、平衆(ただし、参籠3年目以降)が読み上げ。重要な日には上の人が読み上げ。
(イ)13,700あまりの神々を勧請。冒頭は「金峯大菩薩」(金峯山寺の蔵王権現)
(ウ)上七日は遅く(20分)、下七日は早く(15分)読み上げ。
イ 過去帳
(ア)聖武天皇を筆頭に東大寺ゆかりの人びと
(イ)読まれるのは、実忠忌の3月5日・水取りが行われる12日の2回。読むのは平衆だが、5日は新人優先・12日は平衆の統率役「総衆之一」。
(ウ)聖武天皇などは重々しく読むが、鎌倉以降は節がなく早駆け、江戸時代以降は重要な人以外は飛ばし読み。45~50分
(エ)「青衣の女人」は集慶(じゅうけい)の頭にふと浮かんだ女人。樋から水が落ちる「雨だれ落ちの音」(微音)で読む。

(8)儀式
ア 水取り
(ア)呪師の役割で、水汲みの儀式は真っ暗な中で行う秘儀
(イ)閼伽井屋に入れるのは呪師のみで、他の練行衆は外で見守る。
(ウ)井戸は二基あるが、縁が低く浅いので雨が降らないと水量が少ない。
(エ)前日11日の深夜、呪師が堂童子とともに下見。
(オ)汲んだ水は一晩、お堂に置いた後、濾して5つの香水壺に入れる。特に北面の香水壺は「根本香水」で毎年注ぎ足し
(カ)翌日の走りの行法の後、参詣者に授与。
イ 走りの行法
(ア)5・6・7・12・13日の5日間だけ。
(イ)実忠が天上界から行法を授かるに際して“走ってでも行う”と誓ったとの伝承に由来。
(ウ)平衆は走る回数が多く、その後に五体投地するので、香水がありがたい。
ウ 達陀(だったん)
(ア)12・13日に内陣で行う松明を使った加持
(イ)水天(すいてん)と火天(かてん)が登場。
(ウ)サンスクリット語「ダッタ」(焼き尽くす)が原義で、穢れや煩悩を焼き尽くす意味。

(9)まとめ
 修二会は「不退の行法」で、途絶えることはあり得ない。
 平安時代に平重衡の焼き打ちにあった際も二月堂は残り、衆議に反して有志が実施。
 戦国時代に松永久秀が大仏殿を焼いた際にも実施。
 第二次大戦中も、日中、扉を閉めて灯が漏れないようにして夜の行を実施。練行衆も5日に1人・7日に2人に召集令状が来たが、残り8人で実施。
 東大寺として大きな行法
 東大寺だけでなく、世界の人々の祈りを代行
 2月18日の「油量り」など多くの人々との縁があって実施。

2022年02月19日|建造物:寺院|歴史:中世, 古代, 近世・近代|奈良県:奈良市