神姫観光「本陣山(太閤ケ平)と久松山(鳥取城跡)」(鳥取市)
令和4年3月30日(水)、神姫観光「本陣山(太閤ケ平)と久松山(鳥取城跡)」に参加しました。
久松山(きゅうしょうざん、263m)は花崗岩でできた急勾配の岩山で、中世に山名氏が山頂に山城の鳥取場城を築きました。
山城の鳥取城は、吉川経家(きっかわつねいえ)が城主の時、羽柴秀吉による兵糧攻めで落城しました。
その際に、本陣が築かれたのが本陣山(251m)で「太閤ヶ平(たいこうがなる)」とも呼ばれています。
最初に訪れた太閤ヶ平砦は、空掘や土塁だけでなく、窪地状突出部や大手虎口まで備えた本格的な本陣です。
外神砦を入れば山上です。
江戸時代に山麓を含めて総石垣造りの近世城郭に改修されました。山頂付近は「山上ノ丸」と呼ばれ、三ノ丸・二ノ丸・本丸の曲輪が残っています。
本丸の北西には天守台があり、北には鳥取砂丘も見えます。天守は、残念ながら江戸時代の落雷で消失しました。
本丸から南には、「山下ノ丸」の三ノ丸が見えます。
本来の登城路である中坂コースは勾配が急なので、なだらかな東坂コースを通って下山します。
山下ノ丸は自由見学ですが、時間が20分しかないので大急ぎで回ります。
まず、二ノ丸の三階櫓です。天守が落雷で消失した後は、ここにあった三階櫓がシンボル的な存在となりました。
ここから東の天球丸に向かいますが、真っすぐに進めないよう折れ曲がった石垣群が築かれています。
天球丸には甲羅状の「巻石垣(復元)」があります。これは、当初の石垣が崩れ始めたので、崩落を防ぐために築かれたものです。
鳥取城攻撃のためにだけ築かれた太閤ヶ平砦の立派さに驚いた一日でした。