文全協見学会「淡路・徳島の文化遺産を巡る」(兵庫県、徳島県)
令和4年9月2日(金)~4日(日)、文化財保存全国協議会(文全協)主催の見学会「淡路・徳島の文化遺産を巡る」に参加しました。
文全協とは、高度経済成長のなかで破壊されつつある遺跡などの文化財を守るため、昭和45年に結成された団体です。
参加者はスタッフを含めて13人と少なかったのですが、代表委員の小笠原好彦先生(滋賀大学名誉教授)の英断で実施に至ったそうです。
貸切バスで神戸市三宮を出発し、明石海峡大橋・大鳴門橋と二つの橋を渡って徳島県に入ります。
◎ 9月2日(金)
最初の見学地は、県立埋蔵文化財総合センター(板野町)です。
展示の目玉の一つは重要文化財「突線袈裟襷紋銅鐸」で、徳島市・矢野遺跡の発掘現場が復原されています。ここで、実際に発掘を担当された方から説明を聞きました。
この銅鐸は高さ97.8cm・重さ17.5kgと大きなもので、鳴らす機能が喪失して見る銅鐸へと変化しています。
次の見学地は、鳴門市ドイツ館です。
大正6~9年、中国で捕虜となったドイツ兵のうち1,000人が板東俘虜収容所で過ごしました。
アジアで最初にベートーヴェン「第九交響曲」が演奏された地としても有名です。
収容所跡にも行き、建物跡や慰霊碑などを見学します。
◎9月3日(土)
この日は、鳴門市内の史跡を見学します。
徳島城跡の城山(61m)の東南麓には縄文~弥生時代の遺跡があり、そのなかで城山貝塚を見学します。
城跡には登らず、名勝「旧徳島城表御殿庭園」を見学します。
桃山様式を顕著に示しているそうです。
次は、史跡「渋野丸山古墳」です。5世紀前半築造の前方後円墳で、全長105mと徳島県内では最大の大きさです。
外から見ると草が生い茂っていて全容が分かりにくいのですが、墳丘に登ると墳丘の形がよく分かります。
道路沿いに立地してるので、小笠原先生は“ナガレ山古墳(奈良県河合町)のような整備をすれば良い”と言っておられました。
県立博物館と県立鳥居龍蔵記念博物館は同じ建物の中にあります。
県立博物館は、考古博物館・歴史博物館・自然博物館の三つの性格を持ったユニークな展示方式です。
考古分野では辰砂から水銀朱を取り出す石杵・石臼、歴史分野では南北朝時代の大きな板碑、自然分野では恐竜模型が印象に残りました。
鳥居龍蔵は、明治~昭和にかけて活躍した人類学・考古学・民族学の先駆者だそうですが、初めて名前を知りました。
昼食後、阿波国分寺に行きます。境内には、環溝型と珍しい形式の塔心礎があり、近くの田圃から見つかったと伝えられています。
ただし、他の伽藍は見つかっていないそうです。
名勝「阿波国分寺庭園」は荒々しい構成です。
阿波国分尼寺跡では、講堂跡と金堂跡が見つかっています。
小笠原先生は、“国分尼寺にしては大きすぎるので、ここが真の国分寺跡ではないか。国分寺にある塔心礎はここから運ばれた可能性がある”と大胆な仮説を述べられます。
次に、気延山から東に延びる尾根の先端部(標高50m)に築かれた宮谷古墳に行きます。3世紀末~4世紀初頭築造で、全長45mの前方後円墳です。
後円部の直径:前方部の長さの比率が2:1で、纒向型前方後円墳(奈良県桜井市の纒向石塚古墳など)と似ています。
この古墳からは、3点の三角縁神獣鏡が発見されました。
近くにある徳島市立考古資料館には、市内の古墳から出土した埴輪などが展示されています。
6世紀後半築造の矢野古墳は直径17.5mの円墳で、横穴式石室は緑色片岩で造られています。
◎9月4日(日)
大鳴門橋を渡って、兵庫県の淡路島に移動します。
南あわじ市滝川記念美術館「玉青館」で、松帆銅鐸を見学します。
平成27年に7個がまとまって発見されたもので、舌(ぜつ、鳴らすための棒)や紐もあったこと、入れ子状態だったことなどが特徴です。
こちらは「音を聞く銅鐸」で、徳島市で見た「見る銅鐸」(突線袈裟襷紋銅鐸)より古い段階のものです。
小笠原先生は、音を鳴らしながら田圃の中を移動することにより、田の神を呼び出して豊作を祈る行事に使われたものだと説明されます。
北に移動して、史跡「五斗垣内(ごっさかいと)遺跡」(淡路市)を見学します。
弥生時代後期(1~2世紀)のムラで、鉄器づくりを行った鍛冶工房建物や竪穴住居が復原されています。
北淡震災記念公園を経て、史跡「徳島藩松帆台場跡」に向かいます。
上に登れば、明石海峡が一望できます。
最後に、淡路ハイウェイオアシスに寄り、全長194mと兵庫県内で最大の前方後円墳「五色塚古墳」(神戸市)を遠望します。
百舌鳥古墳群の前方後円墳が海に対して平行なのに対し、前方部を海に向けています。
参加者が少なかったので小笠原先生から親しく話を聞くなど、濃密な3日間を過ごすことができました。