安満宮山古墳・芥川山城跡(大阪府高槻市)
令和4年4月7日(木)、高槻市の安満(あま)宮山古墳と芥川山上跡(あくたがわさんじょうあと)を訪ねました。
3月19日(土)に弥生時代の環濠集落「安満遺跡」を訪問したのですが、背後の安満山中腹に見える安満宮山古墳が気になったのです。
標高125mの狭い尾根上に3世紀中頃に造られた東西16m・南北23mの長方形墳で、その姿が復元されています。
ここからは、邪馬台国の重要な外交ルートだった淀川も一望できます。
その奥には、生駒山(642m、奈良県)も見えました。
この古墳からは、235(青龍3)年の銘を持つ方格規矩四神鏡が日本最古の年号鏡や古いタイプの三角縁神獣鏡などが見つかりました。
これらのことから、被葬者は邪馬台国の使節団の有力な一員として活躍した豪族だと推測されています。
同じ道を戻るのも嫌なので、西へ下りましたが、随分と大回りになってしまいました。
岩神神社は大きな岩をご神体としていますが、前に「春日大明神御鎮座舊蹟」と彫られた石柱が建っていました。
さらに下れば、春日神社(成合北の町)があり、12世紀頃に春日大社領荘園「安満庄」になった時に勧請されたと考えられています。
せっかく高槻市まで来たので、西にある中世の「芥川山城」にも行きます。
標高183mの三好山を中心とする城跡は東西500m・南北400mと摂津最大規模です。
主郭には礎石建物跡が見つかり、三好長慶の居城となった時代には、高槻出身の松永久秀も住んでいたと考えられます。
主郭から南には、展望が広がります。
大手の谷筋には高さ2m以上の石垣が残ります。中央部が崩れていますが、本来は幅12mの谷筋を塞いでいました。
至る所に堀切が設けられ、中には片側に土塁を設けて高くした竪堀もあります。
高槻市の史跡と言えば、真の継体天皇陵と言われる今城塚古墳や藤原鎌足を葬ったとされる阿武山古墳ぐらいしか思い浮かびませんでしたが、他にも貴重な史跡があることを体感しました。