大輪田泊(神戸市)
令和4年2月15日(火)午後、大輪田泊(おおわだのとまり、神戸市兵庫区)の史跡を探訪しました。
大輪田泊は奈良時代に行基が修築したと伝えられており、奈良時代~平安時代の港湾施設の一部と考えられる石椋(いわくら)が見つかっています。
平安時代末期、平清盛は日宗貿易の拠点とするために港を修復しました。
その際、波除けのために「経ヶ島」を築こうとしたのですが、工事が難航したため30人の人柱を立てました。来迎寺(築島寺)には、自ら申し出て人柱となった17歳の松王丸の菩提を弔う供養塔が建てられています。
鎌倉幕府の第9代執権・北条貞時が造営したと伝えられる清盛塚には、高さ13.5mの石造十三重塔が建っていましたが、1922(大正11)年、市電の道路拡張工事に伴い現在地に移設されました。
なお、発掘調査により、清盛塚は墳丘でないことが判明しました。
この地には港があるだけでなく、西国街道(古代の山陽道)が通っていましたが、今は石碑「湊口惣門跡」「西惣門跡」が残るだけです。
陸海の交通の要衝であることから、戦国時代、織田信長の家臣・池田恒興(今の姫路城を完成させた輝政の父)が兵庫城を築きました。
イオンモール神戸南の隅に記念碑が建てられています。
兵庫城は、尼崎藩の陣屋を経て大坂町奉行所「兵庫勤番所」となりました。
1867(慶応4)年、ここに最初の兵庫県庁が置かれ、初代知事として伊藤博文が任命されました。
現在、県立兵庫津ミュージアムとして整備が進められ、「初代県庁館」として兵庫勤番所の建物が復元されています。令和4年度後半には「ひょうごはじまり館」がオープンするそうです。